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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

【5032号】ペンテコステメッセージ(1面)

2025年5月24日

混乱(バラル)から救いへ
創世記11章1~9節

中西真二

牧師の憧れの日

 愛する兄弟姉妹の皆さん。ペンテコステおめでとうございます。聖霊が使徒たちの上に降り、様々な国の言葉で福音を語り出したと聖書には記されています。聖霊降臨は、世の牧師たちにとって一番憧れを持つ聖なる日です。

 聖霊の表現として「鳩のように」や「炎の舌」とあります。炎のように熱く、しかもその形が舌とありますから、聖霊を受けた使徒たちは心が熱く燃え、流暢に福音を語り出したと思われます。そして、鳩のようにと言う表現から見ても語られた言葉は平和の象徴のような御言葉だったと思われます。

 誰にでも届く言葉、そして平和に満ちた言葉を語るのは実に難しいです。私はできうる限り聖書の御言葉から語るべき言葉を見出しているつもりですが、それでも聞く人によっては同じ言葉でも違う風に受け止めてしまうことがあるのです。

 そこには、私たちの罪があることは否めません。聖書の御言葉から私たちの罪が指摘されることがあります。人は罪を理解するだけでも不快に感じますし、ましてや人からその罪を指摘されたのであれば拒む度合いが激しくなるのではないでしょうか?また、説教者も罪人です。主の御心に叶っていない言葉も発してしまうことがあるのです。言葉は言語的に通じていても、相手に理解していただくことは実に難しいのです。

世界にある言語

 世界にはいくつ位の言語があるか皆さんはご存じでしょうか?「ラルース言語学用語事典」によれば約2800程の言語あるそうです。実際の調査によれば5000〜8000もの言語があると言われています。調査によって違いがあるのは、それが言語なのか方言なのかの判断が難しいからだそうです。日本国内でも15の言語が話されていると研究者は語ります。アイヌ語、琉球語などがその例として挙げられます。方言とすべきなのか一つの言語とすべきなのか判断が難しいのも理解できます。でも、私たちは言語が異なる、或いは言葉が通じにくい状況ならば、相手に意思を伝えるために多大なる努力をするものです。

たくさんの言語

 さて、今回私たちに示された聖書の御言葉は、世界に様々な言語が生まれた原因となる物語が記されています。創世記は1〜11章が原初史とされ、当時の世界全体的な目線の物語が記されています。紀元前6世紀の捕囚時代に最終的にまとめられたとされています。12章からはいわゆる族長物語・イスラエル救済史に移ります。

 世界全体的な目線からイスラエル民族へと視線が移るきっかけとなったのが今回の箇所と言っても過言ではないでしょう。まず物語の内容を見ていきます。

 (1〜4節)シンアルの地とはバビロニアを指します。物語は都市と塔の建設というメソポタミアの歴史を背景としています。メソポタミアでは複数の街で最上階に神殿を築いた箱形の塔が発見されています。バベルの塔のモデルとなったと考えても良いのではないでしょうか?「バベル」とは「バビロン」のヘブライ語読みで「神々の門」の意味があります。今の私たちにも共通しているかもしれませんが高い建造物を建てるのは資産家や権力者の権威の象徴であり、建築家たちにとっても名誉なのかもしれません。

 (5〜9節)その人たちの様子を神様は見ていて言います、「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話している」。ここに原因があるというのです。彼らが塔の建設に至った発端は「天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」(4節)。だが結果として、このことが原因となって散らされたのです。

 ここには、「善悪の知識の実」を食べてしまった人間の末路が描かれているのです。禁断の果実を食べたアダムとエバが神様の足音を聞いて身を隠したように、私たちが犯す罪は人と人との間に留まらず、神様との関係においても混乱を招くのです。

混乱から救いへ

 ペンテコステの出来事で様々な国の言葉で使徒たちは福音を語り出しています。その状況は今回の聖書の御言葉と真逆の行為であると言えます。人が犯した罪によって、人は散らされ、簡単に意思の疎通ができなくなりましたが、聖霊が降り、そこで語られた言葉は、どの言語を用いる人にも等しく心に届く、罪からの回復の言葉として神様から与えられたのです。この真逆な状況を理解した時、私たちは主の御心が理解できるのではないでしょうか。

 つまり、私たちは元々は一つの民族、一つの言葉でした。今や世界に散らされ様々な民族が存在していますが、世界中に聖霊が降る(=教会が誕生する)とは、散らされた神様の民を一つの民族に戻すことが、神様の御心(聖霊降臨の目的) なのではないでしょうか?

 聖霊が降って、そこにいる全ての人の国の言葉で福音を聞くことが出来たのです。世界幾千とある言語の中で、使徒たちがいきなり多国語で話せたのかは今でも疑問に思えます。元々は一つの言葉であったのです。その最初の言語とは一体何語なのでしょうか?私にはそれが英語とかヘブライ語であるというように具体的には示すことは出来ませんが、その言葉はエデンの園でアダムとエバが神様とも会話することができる言葉であったと思います。

 使徒たちが語った福音の中心にあるのは、イエス=キリストです。イエス様が語った言葉には、私たちの罪による暗闇を照らす光があります。それは罪を赦す温かい光であり、私たちに永遠の命をもたらす愛の言葉です。20世紀に活躍したフランスの哲学者にティボンがいます。彼は「最後の言葉は愛であって、死ではない」と言いました。これもイエス・キリストによる福音です。

 「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった」( ヨハネ1・4〜5)。

(小阪教会牧師)

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