伝道推進室より応援した教会・伝道所
「この地にある教会」久宝教会の歩み
久宝教会牧師 牛田 匡
「久宝寺」という地名のこの地域には古くから仏教寺院が多かったそうですが、初代牧師の小林達夫さんは、1959年に神学部卒業後に自宅で伝道所を開設するにあたって、あえて「久宝寺」という地名から「寺」の字を抜いて「久宝伝道所」と名乗ったそうです。久宝伝道所では、教会学校の活動の一環として、1961年から「ボーイスカウト」「ガールスカウト」活動が始められ、多くの青少年が活動に参加していました。また「赤ちゃんを預かってくれる所がないので、仕事ができない」と一人の女性から相談されたことをきっかけとして、1964年には自宅兼伝道所で無認可保育事業「乳幼児ベビーセンター」が始められました。またベビーセンターの子どもたちやスカウトの子どもたちに、混ぜ物のない良質の牛乳や卵を食べて欲しいとの思いから、共同購入事業も始め、小林牧師夫妻は毎朝早くから牛乳や卵などの配達を行い、帰宅すると休む間もなく子どもたちの受け入れをする、という生活だったそうです。そのような中、社会福祉法人(認可保育園)設立の話が持ち上がり、伝道所の青年たちによる英語学校、塾、本の販売、共同購入事業などで少しずつ集めて来た資金と、教団からの会堂建築資金、また近郊の八尾空港で「宣教するパイロット」として職域伝道されていたトーヤ宣教師夫妻からの献金を合わせて、1974年に社会福祉法人日本コイノニア福祉会が設立され、ベビーセンターは新しく園舎(兼礼拝堂)が建築されて「久宝まぶね保育園」となりました。
久宝伝道所・日本コイノニア福祉会は、聖書の中に記されている「あなたの隣人を自分のように愛しなさい」という言葉や、「この最も小さな一人にしたことは、私(神)にしたことなのである」という言葉に基づいて、地域のニーズに応える形で、保育や介護のいくつもの事業所を開設したり、他法人から事業承継したりして、現在に至っています。久宝伝道所は1997年に久宝教会となりましたが、教会や社会福祉法人を立ち上げた頃の方々が、次々と天に召されて行く中、今では主日礼拝に出席できる方はわずか数人になってしまいました。また保育や介護に携わっている職員にはクリスチャンはほとんどおられません。ですが、日本コイノニア福祉会の諸施設と今も関係が続いている久宝教会として、職員の方々には「今、目の前におられる方々を大切にしたいという思いやりをもって接する中に、神様が共に働いて下さっています。そのことに信頼するのが、キリスト教福祉の業です」と折々にお伝えしています。現在は、久宝まぶねこども園の一室で主日礼拝を守っていますが、園での生活を通して、こども園の子どもたちやご家族の方々、また職員たちがキリスト教に触れて下さることを嬉しく思いますし、また近郊の緑地公園へと散歩に行かれる方々が教会の掲示板を見て、礼拝に来てくださることもあり、コロナ禍で始めた礼拝のオンライン配信と併せて、小さいながらも歩みが守られていることに感謝を覚える日々です。