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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

【5022号】能登半島地震報告《被災教会から》(2面)

2024年8月24日

愛する能登のため、祈りを一つに

《輪島教会》ユニットハウスが「復興のしるし」に

 教団、教区、多くの方々のお祈り、お支えをいただき、まことにありがとうございます。1月1日の能登半島地震により礼拝堂は全壊、また津波を恐れ町の多くの人たちが避難所へと逃れました。教会の近くの避難所には当初700人がいました。そこにいた教会員と偶然にも聖書教会の信徒の方と一緒に4名で聖書を読んでお祈りする礼拝をしました。二次避難によりメンバーは入れ替わりましたが3月まで続きました。4月からは輪島に戻って来た信徒合わせて7名が教会員の自宅に集まり礼拝しました。

 5月には会堂の隣にあった駐車スペースに礼拝用のユニットハウスを教団教区の支援により設置して頂きました。礼拝堂から、長椅子を3脚運び入れ、5月19日のペンテコステからそこでの礼拝となりました。地震後初めての輪島教会での聖餐の食卓となりました。いつもの仲間といつもの椅子に座って礼拝できる、そんないつものことなのですが、みんなの心が喜びいっぱいになりました。またユニットハウスを見た近所の人が、少しでも新しいものができると復興のしるしの希望のようで嬉しいと声をかけてくださいました。

 6月下旬には電気工事の業者が来て、ユニットハウスと同時に牧師館の(半壊のため)一部の部屋に電気が通るようになり、共に冷房が使えるようになりました。ですが、水道の配管が修理できないため牧師館の洗面所台所での水道は使えません。トイレと洗濯のために避難所と牧師館を往復しています。

 7月には避難所の人数は40人となり、また下水道復旧の仮工事があり、仮礼拝堂の横に設置した仮設水洗のトイレが使えるようになりました。また教団のボランティアの方たちが来てくださって、会堂、倉庫、牧師館の片付けを手伝ってくださいました。8月に仮設住宅に入居が決まった教会員一人が輪島に戻って来ました。

 日程はまだ決まってはいませんが、全壊した礼拝堂の公費解体決定の通知が届きました。輪島ではコンビニが午後6時に閉店します。そんな不便がありますが、少しずつ復旧は進んでいます。みな様からの様々なお支え本当にありがとうございます。あせらずに時間をかけて祈り考えていきたいと思います。

(新藤 豪報)


《羽咋教会》伝道所がボランティアの宿泊所に

 日本基督教団と中部教区を中心に多くの諸教会の皆様に祈りとご支援を賜りましたことを、主にあって感謝いたします。また、不安と悲しみの中に今もおかれている奥能登地域の方々をおぼえ、復活の主の慰めを共に祈ります。

 羽咋教会は、外壁と内側の壁に亀裂が出来るなどの被害がありましたが、2007年の能登半島地震の際に、教団と教区の支援により会堂の基礎を頑丈に建てていたため、建物は守られました。5月、外壁の隙間部分にコーキングの工事を行い、内壁部分は今後、修理を施す予定です。志賀町と七尾市に住まいのある教会員が被災をいたしましたが教会員全員、命が守られて今日を迎えています。

 震度6強を観測した志賀町には、羽咋教会の集会所である富来伝道所があります。

 地震当日、私は家族とともに富来伝道所に滞在していました。給湯設備の破損、内壁のダメージを受けつつも教会員・近隣住民と共に祈り、7ヶ月間を過ごしてまいりました。地震直後の1ヶ月間は断水状態が続きましたが、水道のタンクを持参して富来伝道所に毎週通いました。礼拝中に余震が起こることもありましたが、最大震度の地域にあって、休むことなく礼拝を継続することができたことは、振り返ってみると何より感謝なことでありました。7月28日(主日)に羽咋教会と富来伝道所には、地震後はじめて県外の牧者(隠退教師)を説教者に招いて特別伝道礼拝を行い、大きな励ましを受けました。

 現在富来伝道所は、日本基督教団が募集するボランティアの宿泊所として用いられています。また、地域のミッションスクールである北陸学院大学も学生ボランティアを派遣しており、富来伝道所を宿泊所の一つとして用いてくださっていることは、感謝なことです。震災の復興により建てられた会堂が、こうして復興支援のために使用されることが、何より教会員の励みになっています。海底の隆起、能登の岩など自然環境が壊される大きな地震でありましたが、天地万物を造り、私達を復活の命へと導いてくださる主に信頼して、復興・再建の道に祈りをひとつに邁進してまいります。ご協力とお祈りをお願いいたします。

(内城 恵報)


《七尾教会》臨時避難所として用いられた教会施設

 1月1日午後4時10分。あの日、あの時の能登半島地震。七尾市には震度6強の地震が襲いました。地震からしばらくして、大津波警報が発表されました。

 七尾教会と七尾幼稚園のある七尾市旧市街の御祓(みそぎ)地区。津波の時の避難場所は教会と幼稚園に隣接する小高い小丸山城址公園です。倒壊したり壊れたりした家をあとにして、徒歩で避難。けれども、真冬の寒い日で、すぐに日没。暗い中で座るべきベンチもほとんどないところに、数百人の人が集まっていたのでした。

 大津波警報が出ている中、指定避難所となっていた「御祓コミュニティセンター(旧公民館)」はすぐに開けられ、駐車場を挟んで七尾幼稚園と隣接する「寄合処みそぎ」は臨時避難所として準備が始まっていました。そして七尾幼稚園にも「小さなお子様のいるご家族」と「ケアの必要な年配の方々」を中心とした臨時避難所としての打診があったのです。

 七尾幼稚園は、災害の場合園内避難が認められている施設。園舎に接続する教会の礼拝堂も、2007年の能登半島地震を受けて、2011年に全国の諸教会の皆様によって建て直させていただいたものです。建物に被害はあっても、受け入れは十分可能でした。ですからすぐに、了承したのでした。

 数日して少し落ち着いた頃に、教会と幼稚園の周辺を歩いてみました。知り合いの方ばかりの町内です。幼稚園の園児の家があり、卒業生の家があり、教会員の家があります。いつも挨拶を交わす人々の家が、形があっても、壊れています。

 七尾の地に、能登の地に遣わされた牧師として、そしてこの地に建つ教会として、祈り続けてきた人々の生活が壊れている。祝福を祈ってきた街が壊れている。七尾が、能登が、壊れている。

 7月になって、この御祓地区にも公費解体の工事の音が、ようやく聞こえるようになってきました。まずは解体、そしてその次です。だから、わたしたちの愛する能登のために祈って欲しい。能登のために労する人々を覚えて祈って欲しい。そして、この地のために、祈り続けている、この地に生きるキリスト者ために、祈って欲しい。そう、願ってます。

(釜土達雄報)

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