伝道報告 伝道推進室より応援した教会・伝道所
主の栄光のために
津久見教会牧師
野口 春夫
昨年創立70周年になる津久見の伝道開始は1927年であるが、戦前、男性は戦死、女性は病死で数名に、教会は消滅状態だった。敗戦後、救世軍の故恩村吉重兄が教団に移り、再建を始めた。国鉄(当時)津久見駅前で年末に「慈善鍋」が置かれ、楽器が奏でられている写真が津久見市の歴史資料にある。
1953年教団は教会を認可、教区は津久見を「特別開拓伝道地」に指定、借家料を保証した。1966年臼杵教会との兼牧を解消、鈴木(旧姓原田)恭子牧師を迎え、8名で新教会が設立した。牧師は朝起きると、部屋を礼拝堂に変えた。警察署の柔・剣道場跡を買取、会堂建築を始めた。地元の応援、教団と他教会の支援で会堂を完成させたのが1970年。後、有田典生牧師から3代までは専任牧師が続き、後、北隣の臼杵教会に代務、兼務を委ね、遂に礼拝は月1回となり、他の日は臼杵教会の礼拝に出席し礼拝堂2階の牧師館に教会員一家が生活し臼杵まで通っていた。
2001年、私は福岡での教員生活を終え、西南学院大学の神学部3年に編入、4年で教師試験に合格、専攻科在学中に故東島勇気議長より招聘の話があり、2003年6月に赴任し土曜日は臼杵教会保育園に宿泊し聖日に津久見で、CS、公同の礼拝を終え、福岡に戻る生活だった。議長に「謝儀はない、互助も5年間はない」と言われたが、神学部で「教会に招かれたら一度は行こう」と申し合わせていたので守った。教会には、無届の建物、部屋には「陶芸窯」が設置され、数年後に除去して頂いた。就任式後、少し謝儀が出始めたが、今も額は殆ど変わらない。教会員原簿不明のままで、夫婦で教会を知ってもらうために案内ビラを配りポスターも貼って行った。ポスター貼り4年目に、「屋外広告物条例」違反で教会の隣は署長宅だが警察に捕まるというエピソードもある。クリスマスに招待状を入れた案内を配ると、CS生徒が増えた。その時、小6だった田中優至(まさみち)兄が今は教会の役員や大分地区青年部長である。赴任2年目に南隣の佐伯教会の協力牧師となり聖研、代務者、今も協力牧師である。2010年に癌を患い、連れ合いが教師試験を受け始め、3年で合格、佐伯の主任と津久見の担任と兼牧で奉仕している。毎年1回は伝道礼拝をし代田教会の平野克己牧師には、先方の費用で来て頂いた。私も同じ様に説教させて頂いたことがある。教会からは「こころの友」を50年程贈呈を受け感謝している。
東日本大震災で被災し、保養で教会に宿泊し、海水浴等を楽しんだ小学生の一人「警察官になる」と宣言、今、警視庁の交番に立つ。「海上保安官になる」と宣言した一人は、大学で学んでいる。大友宗麟の像、公園、お墓、おまけに「宗麟音頭」まであるが、伝道は難しい所だ。2023年の5月に二人の会員が召天、現住陪餐会員は一桁に。赴任時から物心両面で応援し支えて下さる高校生会時代の指導者氏原淳一兄(林間つきみ野教会)、全国の支援者、元同僚、出身教会関係者には、感謝に絶えない。エアコンが設置出来る電気配線、老朽化した礼拝堂の改築等課題を背負っている。21年前赴任した時の原点に戻り、体が続く限り伝道し、今後の課題を担う牧師に引継ぎ出来るようにと二人で自覚している。自分の信仰の成長のために、多くの小教会のために、主の栄光のために。