昨年の12月初旬に、病床での洗礼式があった。その方は、末期のがんによって自宅療養中で、この時を聖書の言葉に支えられたいという思いが与えられたとのことであった。
最初の訪問の時、「出来れば、洗礼を受けたいのですが…」と言われた。その言葉に驚くと共に、その意思を確認し、必要な準備を行い、約10日後、洗礼式を行った。約1か月の信仰生活を歩み、1月上旬に、神の御許へ召されることになった。葬儀に出席したご家族は、神の支えに深く感謝しておられた。
これまで教会との関わりが全くなかった方が、なぜ受洗を希望されたのか、不思議に思った。準備会でお聞きすると、これまで何名かのキリスト者との出会いがあり、特に「読み聞かせ」の活動を一緒にした人の姿が心にあり、いつか教会に行きたいとの思いがあったと話された。そうして、信仰の道を歩んでいた一人の姿は、その方の心の中に強く残り続けたのであろう。
今回のことを通して、一人の信仰者が生きることが、大きな意味を持つことを思わされた。「自分の歩みが本当に証しになっているのか」との言葉を聞くことがあるが、しかし、私たちの思いを超えて神の大いなる計画に用いられることが、今回の洗礼式に示されていることを思う。改めて、神の御業の豊かさを深く感謝する時となった。
(教団総会書記 黒田若雄)