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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

【5013号】新春メッセージ(1面)

2024年1月27日

一つの霊によって

そこで、主に結ばれて囚人となっているわたしはあなたがたに勧めます。神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。

エフェソの信徒への手紙4章1〜6節

秋田桜教会牧師
雲然俊美

課題に向き合いつつ

 主の年2024年の歩みの始まりと同時に能登半島地震が発生しました。今この時も、愛する者を失った悲しみの中にある方々に、主の慰めをお祈りいたします。心身に深い傷を負われた方々、今後の生活について何の計画も立てることができない悩みや苦しみの中にある方々に、主なる神さまのお守りとお導きを心よりお祈りいたします。
 また、輪島教会ほか、被災地域にある諸教会とそれらの教会に連なる信徒の方たちに主のお支えをお祈りいたします。
 世にある教会は、常に様々な課題に向き合っています。感染症に対する警戒はなお続いています。ウクライナでの戦争とガザ地域における激しい戦闘が続いており、私たちは主の平和の実現を祈り続けています。
 国内では、カルト宗教の問題が表面化する中で、「宗教」に対して社会の厳しい目が向けられています。そして全国の教会・伝道所においては、少子高齢化の中で、教会存立・存続の危機的状況に直面しております。
 このような課題に向き合いながら、私たちは主なる神さまを信頼し、主のお導きを祈ることへと導かれ、教会の存在意義を確認する日々を過ごしております。

 

一致を保つように

 そのような教会の存立・存続の危機は、教会外から突き付けられる様々な課題や批判によってもたらされることもありますが、教会内の問題によっても、教会は大きな困難を経験します。そのような困難に立ち向かうために必要なことは、教会における信仰の一致ということです。
 エフェソの信徒への手紙4章4節以下に、「一つ」との言葉が繰り返し語られています。これはキリストの体なる教会の一体性ということを教えています。それは、教会の組織的な一体性だけではなく、主イエス・キリストを救い主として信じる信仰において一つであることを示しています。
 特に、「霊による一致を保つように努めなさい」(3節)とあります。「一致を保つ」とあるように、私たちはすでに霊による一致を与えられているのだということです。つまり、「お互いによく話し合って、理解し合って一致しましょう」というのではなく、また、「教会がバラバラであっては証しにならないので、とにかく一致を目指しましょう」ということでもないのです。私たちは聖霊によって一つであって、一致はすでにあるのだということです。だからその一致を「保つように努めなさい」と言われているのです。
 その意味で、私たちはすでに与えられている一致にくり返し立ち帰ることが必要です。この人とはこれが違う、あの人とはそれが異なる…といった議論に留まっているのではなく、霊による一致に立ち帰って共に歩むということです。

 

源泉に立ち返る

 教会の信仰において大切なことは、信仰の源泉である主イエス・キリストに立ち帰ることです。私たち信仰者の将来は、現在の信仰の歩みの先にあるのではありません。そうではなく、信仰の源泉である主イエス・キリストに立ち帰ることによって、また、聖書のみ言葉に立ち帰ることによって新たに始まるのです。
 私たちの人生の歩みについては、「川の流れのように」と例えることができるかもしれません。穏やかな流れの時もあれば、急な流れの時もある。順調に流れる時もあれば、大きな岩に流れをはばまれる時もある。そして、流れはやがて大海に向かうと。
 しかし、私たちの信仰の歩みにおいてはそうではありません。私たちの信仰の歩みの将来は、流れの元(源泉)にあります。そこから、絶えず新鮮な流れが湧き出るのです。その源泉こそは、主イエス・キリストの恵みであり、キリストの福音です。
 教会は、一つの霊が「分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった」(使徒2・3)ことによってこの世に誕生しました。教会は(キリストの体なる全体教会である日本基督教団も)、霊による一致のもと、霊の導き、交わりによって立ち、歩むのです。
 そして、源泉に立ち帰り、霊によって新たにされる時、「その人の内から生きた水が川となって流れ出る」(ヨハネ7・38)のです。それがキリスト者の日々の歩みにおいて明らかにされる信仰の証しであり、伝道です。
「洗礼は一つ」(5節)とあります。すべての人が、主イエス・キリストの十字架の死による罪の贖いを信じ、主を救い主と告白することによって救われることの証しである洗礼へと招かれています。

 

招きにふさわしく

 エフェソの信徒への手紙4章1節からのみ言葉では、神さまからの「招きにふさわしく歩み」、「高ぶることなく」、「柔和で、寛容の心を持ち」、「愛をもって互いに忍耐し」、「平和のきずなで結ばれ」ることが勧められています。
 その一つひとつの言葉が言い表していることはよく理解できるものですが、それらを実践するということになると、大変困難なものであるということを思わされます。しかし、聖書のみ言葉は、このようにして教会は真実なキリストの体として立つのだということを示しています。
 私たちは、日本基督教団信仰告白によって、「教会は主キリストの体」であり、神さまの「恵みによって召されたる者の集ひ」と告白しております。この召しは、牧師職への召しということに限らず、すべてのキリスト者に対して神さまの召しがあるということを意味しています。
 教会は神さまの召しによる召命共同体であり、その召しに応答する召命応答共同体です。教会は、神さまに招かれた者たちが、主の召しに応えて、一つの霊によって歩む群れです。多くの困難があっても、遠い道のりであっても、自らの信仰を吟味しつつ、信仰の源泉に立ち帰って、「神から招かれた…その招きにふさわしく」歩み続けてまいりましょう。
 一年の歩みの上に主の祝福を祈ります。

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