いつも初めて新しく
教会で初めて礼拝するのは勇気がいることだと思う。他教派で2階席を出入り自由、私の表現ではチラ見席にした教会がある。終わりまでいてもいいし、通過するだけでもいい。礼拝の雰囲気だけでも体験してまた来てほしいと願ってのことだ。
そんな話を挨拶に伺った宣教研究所委員会でお話ししたところ、委員で伊東教会の上田彰牧師が教団ホームページ・公式ユーチューブに掲載する8月の「今月のメッセージ」で教会の外から録画を始め、会堂内に入る形にしてくださった。笑顔で手を振り迎える教会の方々の姿もあり、そのままメッセージに聴き入った。アバター(分身)で参加するメタバース(仮想空間)教会も一つの可能性だ。いつか神さまが現実の教会に本人を導かれることを信じているので入口は色々工夫されてもよいと考える。
「老いるとは初めてが少なくなっていくこと」と言った人がいる。信仰者にはピンとこない。日々聖霊によって新しくされているからだ。幾度も聞いた聖書もその時々に私たちを生かし常に初めてと新しさに招いている。
「だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの『外なる人』は衰えていくとしても、わたしたちの『内なる人』は日々新たにされていきます」(コリントの信徒への手紙二4章16節)。
(教団総幹事 網中彰子)