新任教師オリエンテーションが熱海で行われた。各神学校の卒業者の他、Cコースや他教派からの転入など、教師として召された経緯は人それぞれだが、最後の全体会で、参加者は口々に「楽しかった」と喜んだ。私が参加したのはちょうど30年前。今とは全く違っていた。
朝の礼拝を担当させていただき、第一コリントの3章から説教をした。「わたしは、神からいただいた恵みによって、熟練した建築家のように土台を据えました」と、パウロは自分の働きを語り、「そして、他の人がその上に家を建てています」、そして「おのおの、どのように建てるかに注意すべき」と言う。
キリストという土台の上に、私はどんな建築をしてきただろうかと振り返らされる。各々は「金、銀、宝石、木、草、わらで家を建てる」が「かの日」に「おのおのの仕事は明るみに」出される。私は金や銀で建てているだろうか。いやいや「クサっ」「ワラ」と言われそうだ。他の人はどうか。しかし、各々の仕事が明るみに出されるのは「かの日」だ。だから、今の自分や他人の働きを見て裁く必要はない。今の仕事は、終わりの時の火で「燃え尽きて」しまうかもしれない。そもそも、どんな仕事の成果もいずれ消え去る。ただ、私たち自身は「火の中をくぐり抜けて来た者のように、救われます」。この真実は決して失われることはないのだ。
(教団総会副議長 藤盛勇紀)