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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

【4992号】メッセージ 平和の計画を生きる(1面)

2023年3月4日

平和の計画を生きる

主はこう言われる。バビロンに七十年の時が満ちたなら、わたしはあなたたちを顧みる。わたしは恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す。わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしに出会うであろう、と主は言われる。わたしは捕囚の民を帰らせる。わたしはあなたたちをあらゆる国々の間に、またあらゆる地域に追いやったが、そこから呼び集め、かつてそこから捕囚として追い出した元の場所へ連れ戻す、と主は言われる。
エレミヤ書29章10〜14節

高知教会牧師
黒田若雄

「災い」としか思えない「今」

 神さまはエレミヤを通して、今、私たちに向かって語りかけておられます。「わたしは平和の計画を持っている」と。
 私たちは、2020年以降、全く予想もしなかった「今」を生きています。感染症、そして、ウクライナでの戦争によって、この先どうなっていくのか、大きな不安の中に置かれています。ですから、神さまの平和の計画が本当にあるのだろうかと、思ってしまうように思います。
 それでは、エレミヤがこの言葉を届けた人たちは、私たちと違い「平和の計画がある」と直ぐに思うことが出来る状況にいたのでしょうか。そうではありませんでした。この時、神の民イスラエルは、大国バビロンによって国が滅ぼされ、多くの人がその国へ移されたのです。そのような深い絶望の中にいる人たちに向かって、この神さまの言葉は届けられたのです。
 まず、神さまは、この計画について「災いの計画ではない」と明言されます。この言葉に、当時の人たちの思いがよく示されています。彼らにとって、直面した現実は、まずは「災い」としか思えないということです。私たちも、思いもしない現実の前に立たされた時、まずは「これは、災いでは」と思うのです。今の状況を「コロナ禍」、「禍(わざわい)」と呼んで、受け取っているようにです。そのような人々に、そして、私たちに、神さまは明確に語られるのです。「平和の計画」、「将来と希望を与えるもの」と。神さまが持っておられるのは、災いの計画ではありません。将来と希望を与えるものなのです。

 

新しい出会い

 しかし、残念ながら、私たち人間がどんなに考えても、「今」が平和の計画の中に置かれることは分からないのです。まずは、災いの中を歩んでいるとしか思えないからです。しかし、その私たちが、今を災いと受け止めているところから一歩踏み出していくことが出来る唯一の道があります。それは、神さまご自身の「わたしは平和の計画を持っている」との御声を聞かせていただくことです。私たちは、神さまから語り示されて、災いに見えている「今」が、それでも神様の「平和の計画」の中に置かれていることを知るのです。
 では、「平和の計画」とは何でしょうか。それは、「将来を与え、希望を与える」ものです。神の民イスラエルにとっては、約束の地へ帰る時が必ず来るということです。そうして、回復の時が備えられていることなのです。しかし、神さまが示しておられるのは、単に元に戻れると言うことではありません。実は希望の中身が、はっきりと示されています。それは、14節で「わたしに出会う」と言われていることです。
 彼らは約束の地を離れ異国に移された時、神さまから遠く離れてしまったと思っていました。しかし、そういう彼らに、そこで「わたしに出会う」、だから「わたしを呼べ」と神さまは言われます。そうして、バビロンで捕らわれの生活をする中で、神さまとの新しい出会いが与えられるのです。バビロンでの捕らわれの生活、困難の極みに見えるような場所で、神さまとの新しい出会いが与えられることが約束されています。
 この神さまとの新しい出会いの姿がよく示されるのが、バビロン捕囚が終わる頃に語られた、イザヤ書46章の言葉です。ここで、神さまは「わたしはあなたたちの老いる日まで/白髪になるまで、背負って行こう」(4節)と語られます。この言葉のように、実は彼らが気づくよりも前に、神さまが背負い続け、担い続けてくださっていたのです。極限の現実の中を、神さまに背負われ、支えられて歩んでいたのです。
 そして、困難の中を支えられていくことを通して、これまで以上の深さで、神さまが共におられることを心に刻んでいくのです。そうして、この困難の中を歩む自分たちと神さまが共にいてくださる恵みを、更に深く、更に豊かに受け止めさせられていくのです。それこそが、神さまの備える「平和の計画」なのです。

 

神さまにある将来

 昨年3月に、高知教会の教会員のある婦人の方から、「夫が受洗を希望している」との話がありました。その方は、クリスチャンホームに育たれましたが、特に教会との繋がりを持たれないまま過ごしておられました。しかし、今回、病気を患われたことを通して、受洗の願いが与えられたのです。その時は、県外の病院に入院中でしたが、近々近隣の病院に転院されるので、そこで病床洗礼式を行うことになりました。その矢先、病状が急変され、逝去されました。葬儀は教会で行い感謝でしたが、洗礼式が行えず、少し残念な思いも残りました。
 葬儀から半年後、逝去された方のご子息から「クリスマスに洗礼を受けたい」との申し出がありました。教会学校に通っておられましたが、その後、教会との関わりを持たれないままでした。しかし今回のことを通し、受洗への志に導かれたのです。
 その方は、洗礼準備会の最後にこんな話をされました。「今回、父の洗礼への志や母の祈りがあって自分は洗礼へと至ったと思っていたが、その全てを通して、神さまが導いてくださっていたことがよく分かりました」と。神さまが全てを用いて、この方のために立ててくださっていた計画を実現されたということを受け止めさせられました。そうして、神さまの驚くべき働きに感謝させられる洗礼式となりました。
 私たちが歩んでいる「今」は、大きな不安が覆っているように思えます。しかし、そのような思いの中にいる私たちに、神さまは示されます。「わたしは、災いの計画ではなく、平和の計画を持っている」と。この困難な現実の中を歩むことを通して、私たちを支える神さまの御手はいかに力強いものであるのか、改めて受け取っていくのです。そして、この現実を歩んでいく先には、私たちが想像もできない神さまにある将来が備えられているのです。神さまの支えを受け取りつつ、私たちは、神さまの平和の計画の中を、前に向かって進んでいくのです。

 

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