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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

【4990号】新春メッセージ 教会を信ず(1面)

2023年1月28日

イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」

マタイによる福音書16章15節〜19節

秋田桜教会牧師
雲然俊美くもしかりとしみ

神の新しさ

 主の年2023年が与えられました。各地の教会・伝道所、関係学校・施設・団体の新しい年の歩みの上に主の祝福をお祈りいたします。
 新しい年を迎えて、教会における「新しさ」とは、私たちが新しい伝道の計画を立て、それを実行するということよりも、主なる神さまが私たちを用いて、新しいみわざを進められることであると思わされています。「見よ、新しいことをわたしは行う」(イザヤ43・13)。
 この新年を、何かを期待するようなワクワクする思いで迎えたという方は多くないと思います。コロナ禍が4年目を迎えます。ウクライナにおける戦争が続いています。これらのことによってもたらされている人と人との関係、および、国と国との関係の分断の状況に、誰もが悩み、苦しみ、痛みをもって、平安と平和を祈っていることと思います。
 多くの方が、この新年に、何か新しいものを求めるということではなく、私たち自身とこの世界が新しくされることをこそ願い求めているのではないでしょうか。

「わたしの教会」

 新年にあたり、私たちはまず何よりも、神さまの恵みによって召し集められた者たちが集うキリストの体なる教会が立ち続けていることこそが、この世界と人間を新しくすることを信じる信仰に立ちたいと思います。
 主イエス・キリストは、ペトロの信仰告白に続いて、「わたしの教会を建てる」と言われました。教会はキリストの教会です。キリストが一人ひとりを召し集め、恵みで満たし、神さまのみわざのために用いてくださっています。現実の教会がどんなに弱く、貧しく、破れが多くても、私たちは、教会がキリストの体であることに対する畏れをもち、「我は教会を信ず」(使徒信条より)の信仰に立ち続けるということです。
 2014年に、青森県弘前市にある弘前西教会は教会創立40周年を迎えました。その記念に発行した『弘前西教会四十年史』の中で、同教会の石川敞一牧師はこのように書いています。「四〇年前の伝道所設立の時、二八歳の何もわからぬ駆け出し者のわたしに、労苦を惜しむことなく、ありとあらゆる相談と援助に心を砕いてくださった、当時の奥羽教区の議長をしておられた笠原金吾牧師からの記念誌への寄稿が届きました。そこにはただ一言、『教会は 昔も今もキリストの身体である』とありました。『ドキッ』としました。誰も居ないのに顔が火照り赤くなるのがわかりました」。
 石川牧師は「教会は 昔も今もキリストの身体である」との一言に、教会は、「神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会」(使徒20・28)であるとの信仰を新たにされ、主イエス・キリストの十字架の愛と贖いの恵みを覚えて心が熱くされたということであると思います。
 そして、教会は「キリストの体」であるということからブレないことと、教会に仕える牧師は「生涯一伝道者」であることからブレないということも記しています。

教会存続の苦闘の中で

 年末に、雪が多く降る地域の教会で、複数ある礼拝所(教会堂)での礼拝の一つを、冬期間休会とすることにしたと聞きました。集っている会員が高齢であり、除雪などの会堂の維持管理が困難であるためとのことです。
 今、全国各地で、わずかな人数の高齢の会員が、教会を維持するためのすべての奉仕を担い、年金や貯金から多くを献げて教会を支えています。そして、ある日、病気や、施設に入居するために、その奉仕を中断せざるを得ない状況に至るということが起こっています。これは今後の教会の行く末を示すきびしい現実です。
 けれども、そのような現実に直面するたびに思わされることがあります。高齢の会員が体力の限界に至るまで教会を支える奉仕を続けているのは、自分たちの教会がキリストの教会であることを信じ、教会を愛しているからということです。そして、教会が立ち続けることによって、その教会に連なる信仰者が信仰の生涯を全うする道が備えられているということです。
 教会がキリストの体であるということについては、「体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています」(Ⅰコリント12・14)とあるように、一つの体として多様な働きがなされるという意味がありますが、何事かの働きをする前に、教会を存続させるということにおいても、すでに神さまのみわざが現わされていると思います。
 また、教会の持続可能性は教会が共に立つことにあります。

キリストの体なる教会

 昨年は、「世界平和統一家庭連合」(旧統一協会)における高額献金や政界との癒着といった問題が数多く報道されました。ある教会員は、「周りの人たちには、統一協会も私たちの教会も同じように見られてしまうんですよね」と話していました。そうなのかもしれません。
 ずいぶん前のことですが、あるキリスト教系のカルト集団が、夏の海水浴場で複数の中高生に洗礼を授けた(?)ことが問題となり、中学・高校の校長の集まりで、生徒に、宗教に近づかないように通知をしようということが話題になったことがありました。それは何とか回避することができたのですが、地域の超教派の教会の牧師会で、「宗教に近づかないように」ということではなく、「何がこの宗教の問題点であるのか」を見分けることができるように教えることこそが必要なのではないか、これが日本の教育で欠落しているのではないかと話し合ったことがあります。
 いわゆるキリスト教系カルト集団においては、「教会」との名称を用いていても、その理解が聖書から全くかけ離れたものになっています。その意味で私たちは、主の日の礼拝をはじめとして、例えば葬儀などにおいて、キリストの体として教会が立っていることを証しすることがとても大事な意味をもっていると思うのです。
 この新たな年においても、キリストの体である教会を信じ、愛する信仰をもって歩んでまいりましょう。

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