秋の季節に小平にある東京教区・西東京教区の共同墓地で墓前礼拝並びに納骨式が行われ、例年200〜300名が集まるとのことです。今年はコロナ禍とあって、納骨を希望する人たちだけの集まりとなり、そこでの説教奉仕をさせていただくことになっています。
この2年近くの状況は、この時期に臨終の時を過ごされ、召された方々とその家族にとって、また、それぞれの教会にとって、大きな痛みとなりました。亡くなられた方々の多くが、教会での葬儀、信仰共同体での別れと送りができなかったのです。教会の葬儀の時は教会にとっても、家族にとっても、また、そのために集まる人々にとっても、ここでこそ、キリストにあって生きた信仰者の希望とそれに根差す愛に生きた生涯が証言される宣教の重要な働きの時です。しかし、一人一人が家族さえも立ち会えない孤独の中で死の時を迎え、火葬に付される事態となったのです。いわば一人の人間の死を、一切の輝きをはぎ取りシートに包んで投げ出すような過酷な事態となったのです。
この時にこそ、教会共同体が、主イエス・キリストにあって与えられる希望の約束を確認し、その信仰をもってこの時を耐え抜き、御国の栄光にあずかる望みを確かにする、このことこそ、教会がなすべき重要な務めだと思います。
(教団総幹事 秋山 徹)