新型コロナウイルスの感染が拡大し、人々が不安を抱いて過ごす中、度々「ウイルスは武漢の研究所が発生源で人為的なもの」との主張が聞かれた。
この件についての真実は分からないが、似たようなことはかつてもあった。地震や台風といった自然現象の際にも、限定的ではあるものの、それが人為的なものであるとの陰謀論が語られた。
想定外の事態や、真相が分からない出来事に接する時、「対立している隣人の仕業」とする受け止め方が一定の支持を得る。客観性を欠いていても、そのような主張が受け入れられる現実は、そう受け止める人々の内に、他者に対する恐れや攻撃性が潜んでいることを映し出しているのかもしれない。知識の木の実を食べたことで、互いに裁き合い、自らを守らざるを得なくなった人間の悲惨を思う。
旧約の預言者たちは、強大な敵が迫って来るという現実に直面し、敵の背後に主なる神の働きを受け止め、それを悔い改めの時として民に語った。想定外の出来事によって人間の営みを自粛せざるを得ない中で、私たちが、何に目を向け、何を受け止め、何を語るのかが問われているように思う。