行く先々に主がおられた
岡田 光廣さん、岡田美保子さん
「若い時に兄を亡くし、虚無感に捕らわれている時に、ラジオから福音が流れてきて、教会に通い、受洗しました」と美保子さんはキリスト者となったきっかけを話す。光廣さんは美保子さんと知り合い、結婚する中で教会に通うようになり、後には受洗もした。しかし、国家公務員としての仕事は忙しく、「不真面目な教会員でした。洗礼も妻の信仰に従って、家庭平和のために受けたようなものでした」と光廣さんは語る。
そんな光廣さんを変えたのは次男が大学卒業後に心と体の調子を崩したことであった。ちょうど広島に転勤し、生活をしている時であった。「頑張っていた子なんです。なんでこんなことになるんだろうと思いました。見ていて苦しかったです。でも次第にわかったのは、この子にとって大事なことを神さまが病をとおして教えてくれているということでした。そして神さまは生きておられるのだということが、わかりました」と光廣さんは言う。それ以来、礼拝出席を真面目にするようになった。次男は回復し、現在は日本基督教団の教師として三宅島で伝道牧会をしている。
光廣さんの国家公務員としの生活は転勤の連続であった。四国の各地と広島で生活した。最初は単身赴任であったが、途中からは美保子さんも共に任地に赴いた。今は仕事を終えてご夫妻で故郷で暮らし、地域で最も近い伊予長浜教会で教会生活をしている。「苦しいことも、辛いこともたくさんありました。でも行った先々の近くには必ず教会があって、主が支えてくださいました。そして今も、最初に聞いた十字架と復活の福音が伊予長浜教会で語られています。安心して教会生活を送っています」と美保子さんは言う。今もご夫妻での礼拝出席を欠かすことはない。