【4916号】伝道のともしび 「福祉の心」を宣教力へ 

神奈川教区・横須賀基督教社会館理事長 佐藤 千郎

 富国強兵を柱に据えた国家が、昭和20年敗戦により崩壊、占領下にあった時、軍都横須賀の文化都市への転換を志した人物が、米海軍横須賀基地司令官デッカー大佐です。キリスト者デッカーは着任直後の1946年、市内にある旧海軍施設を使い、教育、医療、福祉の事業を始めるよう、キリスト教関係者に呼びかけました。「戦争の落とし子」と言われる所以です。

 この時、日本基督教団は、学校(現横須賀学院)、衣笠病院、横須賀基督教社会館、3施設の開設に責任を持ち、教団総会議長も含め牧師、信徒らが、それらの運営を担いました。

 横須賀基督教社会館は杉浦義人牧師の着任を待って活動を開始、間もなくして地域青年の希望により聖書研究会が開かれ、後に田浦教会に発展します。

 1948年2月着任の初代館長エベレット・トムソンは戦前、米国メソジスト教会宣教師として来日、戦争により帰国しますが、日本の敗戦を見通し、大学院に通い、社会事業を専攻、敗戦後の日本に備えました。

 戦後日本に戻り、田浦に働きの地を得たトムソンは、「最も小さい者のひとり」の困窮に即応し、保育園、母子寮を開きますが、活動の重点を「地域のニーズを住民自ら気付くこと」に置いて町民を啓蒙、図書館を開設、町民の文化的意識を高めました。特記すべきは、日本初の「老人クラブ」を組織したことです。

 1957年2代目館長に就任した阿部志郎は、専門的社会福祉と先駆的事業の展開に取り組み、特に、「田浦たすけあいの会」、「たうらの町ふれあい福祉バザー」などに見られるように、トムソンが目指した地域福祉を田浦に根付かせました。そして、これら活動の歴史は、キリスト教と縁遠い地をキリスト教に開かれた町へと変えていきました。

 キリスト者阿部がこの時期に向き合った課題が、教会との宣教(伝道)をめぐる神学的理解の違いと、教会からの経済的自立でした。

 会館建て替えを勧める横須賀基地内教会のチャプレンから、費用の全額支援の申し出がありましたが、宣教に関する理解の相違から、以後の経済的打撃を承知で断りました。福祉の主体は相手にあり、相手の信仰の有無に関係なく、人々の困窮に信仰をもって仕えていくことに「福祉の心」があるとの考えからです。

 2007年3代目岸川洋治が館長に就任、少子高齢化、暮らしの多様化など時代の変化に対応しつつも、先駆性を失うことのない施設の形成と運営を全職員と共に話し合い、現場の取り組みに生かしています。

 さらに、地域福祉事業を通して深められてきた「福祉の心」を宣教力へと高めるため、施設内だけでなく教会も含めた神学的対話の構築、地域教会との協力関係を摸索しています。

 キリスト教社会福祉の現場も宣教の最前線です。福祉事業個々の歴史の足跡に、信仰の生きた証を読み取り、継承し、宣教の言葉として発信していくことの大切さを思います。

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