【4721号】献身のとき No.17

真理を求めた44年 大坪 章美 (札幌中央教会牧師)

私は、1942年、錦州(旧満州)で警察官の父と陸軍看護婦の母との間に生まれました。引き揚げ後は、長崎に住みました。

48日生まれの私は母から「仏縁がある」などと聞かされて育ち、人一倍宗教に関心を持っていました。中学の頃から無性に「人生のバックボーン」を求めるようになりました。

就職の時期になり私は或る大手メーカーに内定し、1966年初めて九州を出て大阪に赴任しました。ところが、1970年の結婚後間もなく、オイルショックを境に会社は大きなダメージを受け、私はそれこそ、土日も無いほど忙しくなりました。

その頃妻は母子家庭のような家を一人で守り、疲れ切ってしまい、ある時近所のご婦人から教会の礼拝に誘われたのを機に夫婦で出かけるようになりました。

教会に通い始めて、受洗の気持ちが湧いてきた頃、東京への転勤が決まり、家族5人は、東横線新丸子駅近くのマンションに移り住みました。転勤後の忙しさに我を忘れていた、ある晩、深酒して同僚に伴われて帰宅した私は、2階の玄関脇のコンクリートの階段を転げ落ちてしまったのです。命を落としてもおかしくない状況で、傷ひとつありませんでした。

私と妻は「神様の助けに違いない」と翌々日、最寄の新丸子教会を訪ね、その年1986年のクリスマスに野田市朗牧師より洗礼を授けられました。そして、気がついてみますと、私のバックボーンを求める旅も終わっていたのです。胸の空虚感は全く消え、毎日を満たされて過ごすことができました。

しかし、その頃、私はこの世のものの脆さに直面していました。大手メーカーの子会社の管理部門に勤務していた私は、殆ど毎日、午前0時をまわって帰宅するという、忙しい生活をしていました。そして、2002年の10月末、かつて無い腹痛に見舞われ、病院で胆嚢炎と診断され、1ヶ月半もの入院を余儀なくされたのです。

その翌年3月末、61才の定年で退職し、同年9月に、赤坂の法律事務所に職を得、法律事務と会計を担当しました。

それから3年余を経過した2006年の秋、翌年には三男も東京神学大学を卒業できることになり、私たち夫婦の、子どもたちへの責任も終わります。

その頃、受洗当時の野田市朗牧師のメッセージが、しきりに、耳に響いてくるのです。「教団には、無牧の教会が数多くある」と。今、私の進むべき道は、これしかないと、献身の思いを、新丸子教会の高橋博牧師に打ち明けました。

その後、多くの方々のお祈りに支えられて、20074月、東神大の学部3年に編入学を赦されました。

思えば、青雲の志をもって田舎を出てからまる40年が経っていました。紆余曲折の荒野の40年でありました。しかし、東神大で学ぶことの出来た喜びは何物にも替えがたいものでした。ようやく、魂の安住の地がカナンの地のように遠望できる思いがしたのです。

学部4年を修了して、大学院修士課程へ進むと同時に、母教会である新丸子教会を離れて、玉川教会へ出席させて頂いたことも、大きな恵みでありました。

そして、卒業後は札幌中央教会へ召されました。

残る人生、札幌中央教会の皆様と共に、主を証しする生活を送ることができることを心から喜んでいます。

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