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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

【4721号】東日本大震災 戦場さながらの被災地を行く

2011年4月23日

 

教団訪問団、宮古・釜石へ

 

岩手県海岸沿い、そこは戦場であった。自衛隊員は迷彩服姿で重機を操縦し瓦礫を撤去。消防隊員は隊列を組んで行方不明者を捜索。津波後、火災が襲った山田町では建物が焼け爛(ただ)れる。バレーボール程の大きさの、養殖用ブイは葡萄のように何百個と連なったまま、店舗の屋根に絡みつく。震災から2週間半も経っているのに。いつもなら立ち入り禁止の危険区域を、一般車輌が中央突破できる非日常が、そこにあった。

市民は浸水家屋から泥まみれの家具・畳・商品を道端に運び出していた。百キロで走る車が激突して倒れぬ電柱さえ、2箇所で折れ曲がる。防波堤裏手に群生する松の木は剃刀に切り取られたよう。海底での凄まじいエネルギー解放により、海水が底の泥砂を巻き上げ、昼下がりの市民を強襲した。

313日出発の第1回訪問に続き、教団は328日、第2回目の訪問団を派遣した。前回は被災直後、ライフライン復旧も儘ならぬ仙台市周辺が中心だった。今回は2週間を経、ガソリン補給さえ叶う岩手県の、新生釜石教会・宮古教会訪問が主目的だった。

石橋秀雄議長が運転する、神学生と物資満載のマイクロバスは花巻教会に到着。ここを拠点に、朝な夕な御言葉と祈りの営みを堅持しつつ、日中は釜石に出向き、新生釜石教会周辺で奉仕。変り果てた商店街に佇む市民を問安したり、未だ行方不明の教会員が経営する洋装店を、泥まみれになって片付けたり。晴天が続くと、3センチ程に積みあがった汚泥が、雑菌と共に埃となって空中を舞い上がる。泥の除染は、人手の要る地道な作業。夏の到来前に市民の手で処分せねば、疫病伝染をもたらすだろう。物資は満たされつつあり、必要なのは人手だった。行政の救援活動が本格化しても、取り残される人たちがいる。そこに教会奉仕の場もある。

さて北紀吉常議員と加藤(幹事)とが運転する自家用車は、マイクロバスを追い1日遅れて花巻に到着。翌朝は南東の陸前高田市を経由して沿岸を北上。釜石の神学生奉仕隊に合流した後、幹事が議長を乗せて宮古教会を訪問した。途中、目に飛び込む光景に胸を痛めたが、宮古教会に詰める盛岡YMCAの青年たちとの出会いに心温められた。

常議員と幹事は、更に盛岡の奥羽教区事務所に向かい松浦裕介教区主事と面談した。帰途、東北教区事務所にも立ち寄り、高橋和人教区議長らと2時間弱に亘って協議の時を持った。

同教区センター内の仙台学生センターには、東京からキリスト教学生友愛会(SCF)のボランティアが十名程詰めており、効果的な救援活動を展開していた。また超教派での仙台キリスト教連合の協議会もこちらで開催され、331日には多数の外国人を含む80名弱が集合。キリストにあって一つ、を実感させてくれた。

この度の震災は、歴史と宇宙を誰が統治するのか、を明快にした。日本の救いは、教会の伝道に懸かっている。神はこの国を憐れみ教会を力づけ、日本を救って下さるに違いない。

(加藤誠報)

教団新報
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