第36回総会期第6回靖国・天皇制問題小委員会が、2010年10月4日(月)~5日(火)、日本キリスト教会館4階の教団会議室で開催された。
七條真明委員による開会礼拝の後、釜土達雄委員長による発題「まとめ~今までの学びを振り返って~」がなされ、委員による質疑応答がなされた。
わたしたちはどのような態度で靖国・天皇制の問題に向き合うのか。それは宗教学的な中立的立場でもなければ、やみくもに反対論のみに集中することでもない。わたしたちはキリスト者として、わたしたち自身の信仰の立場から他宗教と、そして靖国・天皇制問題と向き合うのであるということ。使徒言行録17・22~32の立場から諸宗教における原啓示について考えること。そのような姿勢の確認があらためて行われた。
そして2日目も引き続き、質疑応答を行った。
「原啓示」には、見えざる神への畏れがあるものだが、そもそも靖国神社には神への畏れがあるか。無い。なぜならそこには「せめて祀ってやろう」という国家権威による上から下への目線のみ、統治機構のマインドコントロール機関としての働きのみがあるのであり、超越的なもの、自己を超えた存在への畏れは皆無だからである。
また、「狂」という文字が「ケ(ダ)モノのような王」すなわちもはや人間的心を失った統治者を表していることに思いを馳せるとき、天皇制が太平洋戦争で果たした狂気的機能、それが現在もなお当然のこととして受け止められている事実を重く考えなければならないことをあらためて確認した。
靖国・天皇制問題小委員会のしていることは抽象的で無意味に見えるかもしれない。確かに現時点では小委員会の意義の達成にはまだまだ遠いかもしれないが、だからといってこの委員会を解消してはならない。
教団としての靖国・天皇制問題に対する態度決定を常に準備しておく機関の必要性。そこには抽象的にしか見えないような神学的検討も必要である。
この小さな委員会の学びがやがて広く教団内で分かち合われることを祈りつつ、今期を閉じた。
(沼田和也報)