【4707号】宣教師からの声 番外編

 

メアリー・イザベラ・ランバス(18321904)の名を冠して

小見のぞみ

(学校法人関西学院 聖和短期大学・宗教主事)

 

わたしが聖和大学のキリスト教教育学科の学生だったころ、 聖和(Holy Union)の源流となる3つの学校の創設について聞いた中で、特に印象深い話がありました。創立者の一人であるメアリー・イザベラ・ランバスが、10代の若い日に、中国宣教へのアピールがなされた集会で”わたしは、この5ドルとわたし自身を献げます”と語ったという話です。

この一途で情熱的な言葉は、120年以上経ってそれを聞いた学生であるわたしだけでなく、語られた当時、同じく中国への伝道を志していたジェームズ・ウィリアム・ランバスの心を強くうったのでしょう。彼は、それを語った女性、メアリー・イザベラ・マックリーレンとめぐり合い、185310月に結婚。南メソジスト教会の宣教師として翌年5月にニューヨークを出航し、4ヶ月の船旅の末918日に中国に到着します。そのわずか2ヵ月後、1110日に上海で、後に関西学院の創立者となる長男ウォルター・ラッセルが誕生します。

21歳の若いメアリーにとって、初めての赤ちゃんをお腹に宿しての長い船旅、そしてはじめての異国、中国での出産は並大抵のことではなかったと想像します。その頃ジェームズは、月のうち2週間は船に乗り、中国人と生活を共にして伝道の旅をしていたといいます。メアリーは、異郷にあって乳飲み子を抱えて家を守り、その間に女性や子どもたちをあつめて仕事を教え、伝道し、世話をしました。そして彼女は米国の友人へこのように書き送っているのです。「一月ほど前に、わたしたちの心と手の中に、可愛い男の子を与えられました。とてもかわいくて、わたしたちは神様への感謝の心に満ちています。この子が立派に成長してイエスに従う忠実な僕になることが出来るよう心から祈っています」。ここには、彼女自身とそこから生まれた命、それらはすべて与えられたものであり、イエスに従うために喜んで献げたものであるという強い信仰が表されています。そしてこの信仰とイエスへの従順は、メアリーの生涯一貫して変わらないものでした。

その後も、数度、米国と中国を行き来し、幼い子どもたちを一時米国に預けたり、6歳の娘を猩紅熱で亡くすという経験をしながらも、彼女は中国伝道にすべてを献げていきます。しかしウォルターが14歳になった1876年、メアリーは外国伝道局に不思議な言葉を送ります。「日本はわたしたちの行くべき所のように思います。時々日本は、ウォルターにとってよい働き場所だろうと思います<略>『万事は適時に適所で』というのがよい標語で、これを私は忘れたくないと思います」。まだ何の計画も到底考えられないときに、静かに抱かれた幻であり、信仰深い母の愛の洞察だったのかもしれません。

それから約十年がたち、実に32年間の中国での医療伝道を含めた宣教を突如辞任し、中国語も堪能だった2人(メアリー53歳、ジェームズ56歳)はそれらを捨てて日本に向かい、1885729日に神戸に到着します。3ヶ月遅れてウォルターが着き、2日後には後のパルモア学院や啓明女学院のルーツともなる、読書館を開室し、家族あげての神戸での宣教が始まります。

1887年、メアリーは神戸居留地から神戸市内山二番(現在の中山手)に転居し、自宅の1階応接間で若い女性たちのための家庭塾を開き、編み物や英語、西洋料理、聖書を教え始めるほか、広島女学校のゲーンズを応援するため広島に向かうなど、精力的に西日本での宣教に取り組みます。そのころ神戸に生まれたメソジスト諸学校の萌芽の存廃が取りざたされた時、メアリーの言葉で廃止が回避されたというエピソードも残されています。1888年、メアリーの神戸の教室は、岡島初音(後に吉岡美国の妻となる)を補助者として与えられ、本国伝道局に認められて、神戸女子学校(神戸婦人伝道学校)、後にランバス記念伝道女学校と呼ばれることとなります。メアリーは、その後1892年、夫ジェームズを神戸で亡くし、米国へいったん帰国しますが、娘ノラ夫妻が宣教を続ける中国へ再度渡り、最後は中国蘇州にて71歳で召天、上海に葬られたのでした。

メアリーの日本での活動は、わずか7年、メソジスト教会の日本宣教監督ウォルターと病弱だったその妻デイジー一家を支え、孫たちの世話をしながらのものでした。しかし、1921年に広島女学校保母師範科と神戸のランバス記念伝道女学校が合併して、保育者と女性伝道者の養成のために大阪に敷地千坪の立派な学校が建てられた時、新聞(*)はこの学院がそのときはもうすでにこの世になかったメアリーの名前を冠して、「ランバス女学院」と命名されたことを伝えています。

*(原文のまま)「もともと同院は明治20年の頃アメリカ南メソジスト教会がわが国の伝道を開始するにあたってゼー・ダブリユー・ランバス夫人が派遣されて爾来同夫人は、赤子片手に聖書を持ち、キリスト教義の宣伝ならびに教養に努めた人で該院の今日あらしめたのもまったく同夫人に負うところが多いというところから、その表彰の意味でランバスの名を特に冠したものであるそうな」

こうしてメアリーの名前(ランバス)をつけた学校は、後に聖和女子学院、聖和大学へと発展し、昨20094月にはウォルターの建てた関西学院と合併して、保育者と教員養成の場として、これからも歩いていくことになりました。メアリーの信仰と決意、若い日のあの献身が結んだ実の、今日の姿だと思います。ヨシュアが決然と語った、「ただし、わたしとわたしの家は主に仕えます。」(ヨシュア2415)の言葉が彼女の声として聞こえてくるようです。その名を冠した歴史を受け継いで、歩んでいけるようにと願っています。

Kyodan
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