苦難を乗り越えた先に
祖父に連れられて八丈島教会に通うようになり、素直に信仰を持ち、教会に通い続けた。しかし、受洗は40代になってからと意外と遅い。
求道者として関わり続けた関係が変化したのは、教会付属幼稚園の父母と牧師との対立がきっかけだった。狭い島の中で、それが教会不振に繋がっていくことに危機感を覚えた。幼稚園の父母と教会の架け橋になろうと決意してのことだった。
「受洗してからが地獄の始まりだった」と語る通り困難の連続だった。教会の裏側を見てしまうことになり、牧師との間に壁ができた。教会はぶどうの枝であり、一つと信じていたのに、支区の交わりで「あなたの教会の問題でしょ」と突き放され、躓いたこともあった。教会に行きたくなくなり、家族の問題に逃げるようになった。娘、自分、夫と立て続けに病を得たことも、教会を離れる口実になった。
そんな時、伊豆諸島連合修養会で証しの場を与えられた。「一人の信徒の苦しみを共に負おう」と祈ってくれる人たちがいた。教会との間の壁も自分の心が開かれていなかったためだと思えた。
その後、弟である小田島牧師と共に教会合併に向かうことになる。「弟は命を失ったけれど、八丈島に教会を生み出してくれたと思っています」と語る。それ程、教会合併は大事業だった。誰にも自分の教会という思いがある。それを乗り越えるのは本当に大変だった。牧師は「古い革袋を捨てよう」と信徒を説得し続けた。合併、牧師の死、無牧を経て新しい牧師を迎えた。「今は本当に幸せ」と言う。
八丈島は本当にたくさんの人に祈られ、支えられてきた。自分たちも少しでもお役に立てるように奉仕したいと、2つある会堂の1つの草刈りは彼女が行っている。それも喜びだという。
「都会の牧師に何か言いたいことは?」と聞くと「八丈島は良い所です。心を癒しに来て下さい。自炊できない方にはご奉仕します」と、笑顔が返ってきた。