その名もヨハネ
その名も「ヨハネ」。故島村亀鶴牧師の次男である。名前の由来を教会の中で問われたことはない。
昨年のクリスマス前に大病を患い、初めてクリスマスを病院で過ごした。このことを一つの区切り時と考え、これまで担ってきた長老職、教会学校の校長の職から身を引く決断をする。放蕩息子だった、との自覚を強く持ちながら歩んできた信仰生活もいよいよ最終局面を迎え、ここからどう歩んでいくかを模索する日々である。
様々な事情によりお寺の幼稚園に入園。しかし、ヨハネの名は伊達ではない。私たちは仏の子、とみなが歌う中で、自分はイエスさまの子だからと、幼稚園の歌を歌うことを拒絶した。この子が後に放蕩息子になるのだから人生は面白い。
明治学院中学在学中に洗礼を受け、クリスチャンの学友との交わりの中で、その信仰は育っていった。高校卒業時に献身の思いを父親に伝えるも3日後に撤回、大きな分岐点であった。思想に共感を覚えつつ大学でロシア語を学び、卒業後、岩波書店に勤務。以後36年、雑誌『世界』、岩波文庫、辞典などの編集に携わる。この36年間が放蕩だったと振り返る。
教会への向き合い方に懺悔の気持ちを覚えながら、聖餐に与ることに躊躇したこともあったが、仕事を終え、真正面から教会に向き合う時を与えられた。そこで目にしたのは、あのヨハネ少年のような子どもたちの姿であった。その後、放蕩の時代を取り戻すかのように教会漬けの日々を送り、今新たな時を迎えている。
現代の教会が、不用意に放蕩息子を生み出すような教会とならないように強く願う一人である。そのためにまた新たに何かできることはないか、ただ主イエス・キリストをしっかりと見上げ、カタツムリのような歩みをなしたいと語った笑顔は、ヨハネの名を背負った人生を深く感謝する笑顔であった。