キリスト教と保育、ひとつのもの
先日、幼稚園の教師会で、キリスト教・教会との出会いを振り返り、キリスト教保育についての考えを語る機会が与えられた。そこで改めて気づかされたのは、自分にとってキリスト教と保育は分かちがたくしっかりと結びついていることだった。
光子さんがキリスト教に出会ったのは、高校卒業まで一貫して学んでゆくことになるキリスト教学校の幼稚園に入園したことがきっかけである。幼稚園入園を機会に教会学校へも通いはじめた。しかしそもそも、お母さんもカトリックの学校に学び、光子さんと同じ学校に学んだ親戚や、洗礼を受けている親戚もいたので生まれながらにキリスト教から遠いところにいたわけではない。
幼稚園、学校での礼拝、日曜日の教会学校、すべてのことを覚えているのではないが種蒔きの時期であった。高校生になったとき多くの友人たちが通う聖ヶ丘教会に出席するようになった。高校3年生のとき十数年にわたって蒔かれてきた種が果を結び洗礼を受けた。
大学では保育に進路を定め学んだ。光子さんは、それしか自分にはできないから、と言うが、幼稚園から高校まで一貫した教育の結果として当然の道であっただろう。大学卒業後、教会付属幼稚園に勤め、教会では青年会にて信仰を育てられた。
教会に奉仕することと、キリスト教保育にさらに従事するには二つのことが影響した。ひとつは、母校の幼稚園に保育者として戻り、そこでキリスト者、保育者として良き模範となる先輩を得たこと。今ひとつは、子どもを出産し、子どもぐるみの関係が教会の中に広がっていったこと。これらのことが光子さんに保育者としての志をさらに高く広く開いてくれた。
育てられてきた教会を離れ、新たな教会、幼稚園での奉仕、働きをはじめて6年目。理想と描くキリスト教保育を目指し、今日もなお一歩、子どもたちとともに歩みを進める。