今、国会で議論されている外国人労働者受け入れ拡充の動機は、その生産性に着目したものであるという。それだけの理由で受け入れの方向性を結論づけていこうとすることに驚きを隠せない。働くことは生きていくことであり、またその人の存在を受け入れていくことであるのに、これでは生産効率の良し悪しで人間を判定する風潮がますます蔓延していくのではないか。
重度の障がい者施設である止揚学園を9月に社会委員会として訪れ、園長の福井生(いくる)さんに話を聞いた。福井園長は生産性が議論に挙げられていることにとても深い憂慮をもっている。生産性を人間の価値判断の基準にしていこうとする時流となれば、それによって他者を切り捨てていく風潮が生まれてくるのではないか。話を伺って優性思想の危険性を考えさせられた。さらに福井園長は、障がいをもつ人たちと共に生活をしていく中で共感性を深めていくことには大きな喜びがあることも語った。そしてそれは共感性というよりは祈りだとも語られた。共に神様に生かされている喜びを感じ、そこにお互いの祈りが生まれる。そうした心として、このことを受け取らせていただいた。
介護や看護など、さまざまな福祉の現場に関わるすべての人々の働きには祈りがあると思う。そしてその働きの中に神様は心ふれあう喜びを用意されている。そのことによってまた新たな感謝の祈りへと導かれ、また新たな心ふれあいの時が与えられますようにとの祈りが生まれる。人と人との暖かい生きた関わりの中にあってこそ、私どもの世界は真実に神様に喜ばれるものとなるのではないか。
今年も12月第1主日の「キリスト教社会事業を覚えて祈る日」を迎えようとしている。
教育・医療・福祉などさまざまな分野における、キリスト教社会事業のこれまでの社会貢献に感謝をするとともに、これからの時代にいかに「心」を込めた務めが大切であるかを実践し、なおいっそうの手本となって示し続けていただきたいと願う。
キリスト教社会事業に関わるすべての方々の働きに共に祈りを合わせて行きたい。
2018年12月2日 第40総会期日本基督教団 社会委員会委員長
森下 耕