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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

【4695号】献身のとき No.14

2010年4月10日

わたしがあなたを選んだ 栗原 清 (武蔵豊岡教会牧師)

もともとメカニカルなものが大好き。子どもの頃に目覚まし時計を分解し、元に戻せずに叱られたことや、メーカー製の自転車に元々付いていたパーツと違うパーツを、フレーム以外は全部取り替えて、全く別物に仕上げたこともある。パソコンの組み立ても大好きなことの一つ。だから献身する前は、自動車の生産技術部門で働いていた。

そのようなメカ好きの私は、祖母から数えてクリスチャン3代目。教会へは、無意識のうちに連れられていたこともあり、世の中の人は日曜日に教会へ行くものと認識していたが、後に日本に於いては少数家庭に過ぎないと知った。しかし、教会という所は、自分を大事にしてくれると感じられて、お気に入りの居場所だった。

思春期の頃、所属教会の牧師から(冗談半分で?)「栗原君、将来牧師という道もあるよ」って声を掛けていただいた。その時は、驚くと同時に自分自身相応しいとも全く思えず、自動車産業の技術者への憧れもあり、「そうですね」と照れながら答えるのが精一杯だったように記憶する。でも、これが一番最初の神の声だったのだな、と今になって思う。

高校3年の夏休み。長野県上田市で開催された埼玉地区KKSキャンプに、当時所有する大好きな自動二輪車で乗り付け、そのプログラムの最中に高原野菜を満載した四tトラックと接触し事故を起こした。死を覚悟したその時、その傍らにはKKSキャンプの講師で奉仕されていた、原市教会の村田元(はじめ)牧師がいて、私の手を強く握って下さった。正直その時は、綺麗な夕焼けの中、これで死んでも天国に行けるような気がして不思議と死への恐怖を感じることはなかった。

しかし、人生は簡単に終わらない。私も主の御心ならば、もう一度歩けるように、と病院のベットの上で何度も祈った。すると祈りは、神に聞き届けられたのか、かなり重症だった左足も壊死せず切断もされず、死ぬこともなかった。少々障碍は残ったが、二本足で生活が出来るまでに回復させられた。思えばこの体験は、大魚に飲み込まれたヨナと重ねられるように感じる。

だから私は、命が助かり自分の人生に戻れる、とその時は儲かったような思いがして、神様に感謝する思いを込めながら母教会の初雁教会山岡磐牧師より洗礼を受けた。しかも念願だった自動車会社への就職も実現し、人生の喜びの再出発を果たしたつもりになっていたが、何故だか気持ちが全く晴れない。

そのような時、夜勤を終え帰宅し、テレビを付けると「偉大なる生涯の物語」という、イエス・キリストの生涯を描いた映画が放映されていた。涙が溢れて止まらなかった。それから少し真面目に聖書を読もうと決心し、通読を開始した。読み終えるまでに3年を費やしたが、御言葉が与えられた。ヨハネ福音書1516節「あなたがたが私を選んだのではない。私があなたがたを選んだ。...その実が残るようにと」。数ある神々の中から、私がキリストの神を選んだのではなく、既に神は母胎に命を宿す前から、何も持ち得ない私を選んでおられたのだ、と献身への思いを与えられた。

もう後は、次々に御言葉が私の背中を押してくる。丁度その頃知り合って結婚した妻も、私の献身への道備えを手助けしてくれた。多くの人たちの祈りに支えられながら、今の自分がここにある。神様の御心は、計り知れないものである。

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