幼稚園も伝道のため
京子さんの先生は、「たるもと」先生だった。園児として通った教会幼稚園で、卒園してからも生徒として通い続けた教会学校でいつも迎えてくれた先生だ。子どもとかかわる仕事に就きたいと志したのも、幼いときにひとりのキリスト教保育者と出会ったことが源にあった。
幼稚園教師は、子どもたちが家庭から社会に踏み出す最初の一歩を手引きする大切な導き手、はじめて出会う先生と言ってよいだろう。この最初の導き手となるのにキリスト教信仰を土台として務めに当たるのがキリスト教保育者である。自らも教会幼稚園に通い、同時に教会学校にも通い、それ以来これまで教会幼稚園からも教会学校からもずっと離れずに歩んできたことがキリスト教保育者としての、京子さんのアイデンティティーを支えている。
京子さんは、何よりも自分が洗礼を授けられたキリスト者であるので、保育にも教育にも先立って、伝道したい、自分も受けた恵みを証したい、と願い続けてきた。まず伝道、それが京子さんの教育者、保育者としての基本姿勢だ。平日の勤務も日曜日の奉仕にも質的差はない。教会学校がライフワークであり、幼稚園も同じだからである。どちらもが、伝道の好機。子どもたちだけでなく、保護者の参観や教会学校への出席があれば、このチャンスを逃してなるものか、と思うのだそうだ。
京子さんが勤める幼稚園では教会学校との連携も良く、卒園後も出席が続く。卒園生たちの受け入れに幼稚園教師が果たす役割は大きい。成人を迎えた卒園生たちを礼拝に招く試みを新たに始めて出席者を与えられた。幼稚園での数年間だけでなく、教会学校、その後も、教会の門をくぐった子どもたちを長く覚え続ける営みだ。京子さんもかつて同じようにしてもらった。
幼子をキリストへ、キリスト教保育の根幹を何とか良く果たしたい、京子さんの祈りと実践はなお熱い。