「裁判官みたいですね」と言われた。刑務所でクリスマス礼拝をささげたときのことである。
教誨師は16年間担っている。当初は試行錯誤で教誨を行った。前任者からの引継ぎがなく、また他の教誨師からの指導もないままに始めた職務である。最初の30分は讃美歌を歌い、聖書を輪読し、解説を含めた奨励を行う。後半の30分は懇談の時とし、感想を聞いたり質問を受けたりする。教誨を受ける皆さんは、自由にのびのびとお話するのであった。
最初に迎えたクリスマスは、いつもの教誨ではなく、クリスマスを体験してもらいたいとの思いが有り、ローソクを灯して、暗黒の世にイエス様が到来した喜びのメッセージとしたのであった。この時はガウンを着用したのである。クリスマスの礼拝が終わり、感想を聞いたとき、「裁判官みたいですね」と言われたのである。胸に突き刺さるものを感じた。そう、この人たちはガウンを着ている裁判官から刑の宣告を受け、服役する身になったのである。裁判官から刑の宣告を聞くかのごとく、クリスマスのメッセージを聞いたことになる。
配慮のないことであったと反省したのであった。
教誨を行いながら、出所したら礼拝出席を勧めている。何人かの皆さんも礼拝に出席することに希望を持っている。実際、その人たちが教会に行き、礼拝へと導かれたとき、講壇で説教をする裁判官を見るのであろうか。
(教団書記 鈴木伸治)