神の子と呼ばれる道
私の第2の人生に神は2つのことを備えて下さった。一つは教会生活に戻る道、もう一つは平和へのささやかな貢献である。
私は3代目のクリスチャンとして、高校2年の時、親友の牧師のご子息と一緒に受洗した。しかし、社会人となってからは教会生活から足が遠のき、パキスタンをはじめ海外生活の合間に一時帰国で帰郷の際、「教会に行きなさいよ」と優しく諭す母への親孝行として、母の背を押して教会に行く程度であった。
1989年、母が召天した時、私はシカゴに赴任していた。たまたま当地で開催されたギデオンの国際大会に、父は母の遺影を持って参加した。母の死はいわば突然であったのに、父は「神のなされることは皆その時にかなって美しい」と言って神を賛美した。この時の私は父の気持を理解することができなかったが、今は漸く両親の信仰を継承しているとの自覚を持てている。
『「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」この聖句は実に涙が出るほどに有難い御言葉である。神がそう呼んで下さる。人にそう呼ばれるか否かはさして重要ではない。』生涯を平和活動に捧げたあるクリスチャンの言葉である。私は8年前に、国際NGO「NONVIOLENT PEACE FORCE(非暴力平和隊)」に先立ち、日本で設立された「非暴力平和隊・日本」の創立メンバーとなった。
非暴力活動は、ガンディーの〝平和隊〟の理念を引き継ぎ、アメリカでキング牧師の公民権運動を支えた理念である。非暴力平和隊は更に「政治的立場を取らない」との理念を持つ。和解による紛争の防止と解決に徹し、紛争地域の非暴力平和活動家を支援する。現在、スリランカとミンダナオで活動中である。
非暴力平和隊のメンバーにはキリスト者が多い。勿論、日本では仏教徒もいるが、非暴力で平和を実現しようという目標で皆が結ばれている。非暴力平和の実現への道は、主イエスの教えられた道である。私は、祈りつつ、この道を歩み続けたい。