【4687号】献身のとき No.9

神に起こされた石ころ 金田佐久子(西川口教会牧師)

私の献身のきっかけは母の死でした。母は持病の喘息の発作のため突然亡くなりました。誰もいなくて助けることができず、処置が間に合わなかったのです。

そのときの私には希望がありました。微力ながらも、海外へ行って貧しい人々を助けたいという願いがありました。けれども母が死んで父が残され、私と妹が同居することになりました。母を失った大きな悲しみと共に、挫折し、傷ついた思いもありました。「どうしてこんなことが起こるのか」と問い、一方で、「神様はすべてをご存知である」と、自分の心に言い聞かせていました。

母の死から約1年後の19972月、西川口教会は、祈りの集いであるアシュラムの講師に、今は亡き酒井春雄牧師(当時、新潟・栃尾教会)をお迎えしました。アシュラムの後「恩寵あふるる-これらの石ころからでも-」という酒井先生の信仰自叙伝を読みました。この本に酒井先生が献身へと導かれた出来事が書かれています。

銀座教会の信徒であった青年時代の酒井先生に献身の思いが与えられ、当時の銀座教会名誉牧師の渡辺善太先生に相談したときのことです。渡辺先生は酒井青年にこのように答えてくれました。

「君は聖書の中にこんなみ言葉があるが知っているか。『神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子を起すことができる』(ルカによる福音書第36節・口語訳)。その思いが、神が起してくれたものなら必ず実現するが、人間の思いであれば、どんなに条件が揃ってもだめになる。伝道者になりたいという思いが、神からか、自分からか、わかる道は一つだけある。状況がどうであろうがそのための準備をし、何年かかっても学び続けること。目的を達成したら、神の起してくれたことだから思い切り働きなさい。もし中途で挫折し、み旨ではないと知っても失望するな。神は、信じる者の努力を無駄にはなさらない。半年間も考え続けたなら、思い切って取り組んでごらん。大切なのは神から出された宿題に、まともにぶつかってみるかどうかということだ。」

読んでいた私も渡辺先生のこの言葉に心を動かされました。その頃、自分がこれからどうしていけばよいのかを祈り求めていたからです。しばらく祈りつつ考えましたが、「踏み出してみよう。神が起こしてくださるならば実現する。神と教会のために献げよう」との思いに至りました。

自分と家族の生活のために今までの仕事を続けながら、教団補教師検定試験をCコースで受験しました。試験に無事合格して、会社を辞め、20004月に母教会である西川口教会の担任教師として招かれました。島隆三牧師・静江牧師のもと、4年間共同牧会で仕えてきました。島先生方の転任に伴い、2004年度から主任担任教師として、永本慶子牧師と共に仕えています。来年の3月で教師となって10年になります。

今日まで守られてきたのは、神が私を起こしてくださっているからだと信じています。思い切り働いて、救いのために用いられることを喜んでいます。2年前のクリスマス礼拝では、ずっと同居している80歳の父が洗礼を受けました。私は自分の父親に洗礼を授けるという恵みにも与りました。

献身の導きとなった聖書の言葉から、自分のことを「神に起こされた石ころ」に過ぎないと常々思っています。さらに、アブラハムの子孫として祝福の中に加え入れられたことを心から感謝している日々です。

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