2009年平和聖日
日本基督教団 総会議長 山北宣久
在日大韓基督教会総会長 鄭然元
「テロ」の未然防止を目的とした「入管法」(出入国管理及び難民認定法)が改定され、一昨年11月20日より実施されるようになりました。その内容は、日本に入国・再入国する16歳以上の外国人(特別永住者や外交官などを除く)に指紋と顔画像を登録させるというものです。
主イエスの十字架の意味を思いつつ、キリストに従うことを告白する私たちは、「隔ての壁・指紋押捺」を再び強制させるこの入管法改定に反対することを表明いたします。
1980年、一人の在日コリアン1世が指紋押捺拒否を行ったことを皮切りに、在日外国人に対する管理・抑圧の象徴であった「外国人登録法」(外登法)の指紋押捺制度に対する反対運動が起こり、多くの在日外国人が指紋押捺拒否という形で、日本の中にある差別や偏見を問い始めました。指紋押捺拒否を行う者の中には、日本で生まれ育った14歳の中学生や16歳の高校生の在日3世たちもいました。彼ら彼女らにとって「指紋押捺」は、自分たちが生まれ育った社会や日本人の友人たちと自分たちとを隔てる壁だったのです。
この在日の痛みの叫びに応え、指紋押捺拒否運動を全国各地で一斉に行うなど、宣教の働きとして祈りの中でこの運動を私たちは担ってきました。その活動によって私たちが目指したことは、日本人と在日外国人を隔てる壁をイエスの十字架によって崩すことであり、国籍に関係なくすべての人が「神の子」としての尊厳が与えられる社会と主の平和を実現することでした。さまざまな人たちの忍耐強い取り組みと祈りの結果、2000年4月に外登法の指紋押捺制度は全廃されました。
しかし、その「指紋押捺」を、日本政府は、今度は入管法において復活させました。私たちは、入管法改定はさまざまな点で問題を含んでいると考えています。たとえば、日本政府は、登録された指紋を生涯にわたって保管し、法案の趣旨である「テロ」の危険性のある人物の入国防止以外の使用も公言しています。これは、法の目的外使用となり、認められるものではありません。
また、外国人だけから生体情報を採ることは、外国人はテロリストかもしれないという偏見を助長するものだと言えます。外登法の指紋押捺制度に反対した際、多くの在日外国人たちが、指紋押捺は自分たちを「犯罪者予備軍」と見なすものであり、人間としての品位と尊厳を傷つけるものとして反対しました。今度の入管法による指紋押捺では、外国人を「テロリスト予備軍」と見なすことになり、外登法の場合と同様、外国人の人間としての品位と尊厳を傷つけるものです。また、人種差別・外国人嫌悪の助長をうながすことにつながるものです。
とくに、私たちが危惧することは、こうした法改定が「テロ」防止の名のもとに、日本国民の不安を煽りながら進められているということです。私たちは政府が日本国民の不安を煽った例を関東大震災に見ることができます。大震災時、日本国民が不安にある中、政府が積極的に流したデマによって、多くの在日朝鮮人の命が失われました。私たちは、そのような歴史の教訓から、政府が人びとの不安を利用することに危惧を覚えると共に、私たちキリスト者がそのことに対して、「見張り」の役割を積極的に担い、警鐘を鳴らさなければならないことを学んできました。
私たちは、多くの人が行き来する世界にあって、また、多くの外国人が地域の住民となりつつある日本社会にあって実現されるべきは、多民族・多文化の共生社会であると確信しています。そして、そのような社会の実現のために必要なものは、指紋押捺でなく、日本人と在日外国人を隔てる壁を崩していくことであると信じています。
私たちは、「入管法」を再び改正し、日本に入国する人たちが指紋採取と顔写真を撮影されなくて済むように、そしてさらに「外国人住民基本法案」の制定のために祈っていきます。それは、私たちが住む国の平和の柱を形造ることと直結していると信じるからです。
私たちキリスト教会は、2009年5月13日「入管法の改定案に反対するキリスト教会共同声明」を公表しました。
「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました」(エフェソ書2章14~16節)