【4679号】献身のとき No.4

上田光正(美竹教会牧師)

「わたしには深い悲しみがあり、わたしの心には絶え間ない痛みがあります」(ローマ9章2節)


わたしが献身を決意したのは、ほとんど一瞬のことであった。高校時代から、自分が何になるべきかを思い悩んでいた。しかし、幾ら考えても答は得られず、悶々としていた。教会に行き始めたのは、大学に入った1960年の春。その年のクリスマスに受洗した。

医学部に席を置いたのは、家業を嗣ぎたかったからではない。単に、6年間も時間があり、その間に天職が何であるかが分かるかも知れない、と考えたからである。教養学部を終え、医学部の入学式を終えた日の夜、召命を受けた。何の迷いもなく、むしろ、自分がこの世に生を受けた理由が明らかとなったことを喜んだ。自分の将来と言っても、人生の転換期になったときに、初めてリアルに示されるもののようである。翌朝東神大に行き、仮入学の許可を得た。

献身で一番傷つけてしまったのは、両親である。今にして思えば、どうして一日でも二日でも心の備えをさせて上げてから神学校へ行けなかったのかと、配慮の足りなさが悔やまれる。父は寝込んでしまった。「せっかく東大医学部に入った長男が、最低生活者となるのか」、と。もっとも、家業の方は妹や弟が3人とも医者になったので、嗣がれることにはなった。

わたしは神学校の寮から一生懸命母に手紙を書き、熱心に両親の救いを祈り続けた。しかし、なかなか聞かれなかった。ある夜、夢を見た。両親がわたしの前に並んで正座し、首を垂れながら、次第にわたしから遠のき、小さくなってやがて消えて行く夢である。わたしは夢の中で激しく慟哭し、目を覚ました。汗をかき、心臓の鼓動が痛いほど強くいつまでも鳴り止まなかったことを、今なお忘れることが出来ない。

話は少し変わるが、わたしが神学校を卒業した頃から、日本の教会の講壇では十字架と復活の福音が余り語られなくなっていた。何かが起こり始めていた。わたしは自分の神学をしっかり確立させる必要を痛感し、5年半ほどドイツに留学した。その間に、教団では万博問題、東神大問題、教師検定試験問題などが次々と発生し、宣教の理解をめぐって、教団は時代の嵐に翻弄され続けた。恐れていたことが起こったのである。

その間、わたしの母は遠くへ去った息子の面影を求めるように、教会に通っていたようである。教会に行きさえすれば、息子に会えると思っていたのであろう。やがて信仰を与えられ、寝たきりの父を看病しながら伝道し始めた。父も母を通して信仰を与えられ、死の直前に、洗礼を受けることになった。わたしはわざわざドイツから一時帰国し、父に授洗した。父の死をドイツで知った。その前日の夜、父がかつて見せたことのない、太陽のような笑顔で天に召されて行く夢を見た。わたしの祈りは、10年後に聞かれたのである。

ドイツから帰国し、高知県の安芸教会で6年、石川県の若草教会で5年、そして現在の美竹教会で25年牧会している。

しかし、わたしの心はなお、冒頭の聖句を離れることがなかった。と言うのは、教団は今なお荒れ続け、一時は教勢が増えたように見えても、全体的に見れば、やはり衰微の一路を辿っているからである。あの、わたしの前に正座しながら首を垂れて次第に遠のいて行ったわたしの両親が、再び元気でわたしの前に現れ、大きな笑顔で微笑んでくれたように、教団は甦らないものだろうか、と切にこいねがいつつ祈り続けている。

 

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