与えられた仕事によって
吉田さんは幼少の頃、クリスチャンの母親に連れられて教会へ通った。青年時代は車で母親の送迎をしていただけであったが、ある時、牧師から教会学校のバスの運転手を頼まれ、教会に関わるようになった。その頃教会は大きな問題を抱えており、それが解決したら吉田さんは役割から逃れようと思っていた。しかし牧師 交代を機に受洗へと導かれた。
ちょうどその年、吉田さんは保育士を目指していた現在の妻と出会い、結婚した。新しく招聘された牧師は吉田さんと同い年で、腹話術をし、教会幼稚園も教会活動全体も活気が出て来た。吉田さんは牧師夫人に頼まれ、牧師館台所整備などをきっかけに、「腹をくくらなくては」と教会に関わるようになった。やがて気がつくと 、役員会書記、教会学校校長など、多くの働きを担うように導かれていた。
吉田さんの子どもたちも教会学校へ通うようになった。妻も受洗へと導かれた。それは三人目の子どもの死という苦難を通しての復活の主との出会いであり、結婚14年目のイースター礼拝での出来事であった。
教会はその後も何度かの牧師交代を経て現在に至っている。吉田さんは今、「与えられた仕事は断らない。神様が与えて下さった能力、力を出し惜しみせず、できることを精一杯やっていく中で成長させられる」と語る。実際、これまでも、教会学校の奉仕が保育園園長の仕事に生かされ、今の仕事のすべては、教会の奉仕とそこ で出会った人たちによって磨かれてきたという。園長としてのモットーは「子どもの視線に立って見ることを忘れない」である。
吉田さんは教区財務委員など、10年以上も教区の働きを担った。
現在は、教会役員、地区教会全体修養会委員など、多くの奉仕を通してキリストと教会に仕えつつ、保育園園長として、また埼玉県保育協議会会長として地域に貢献している。