能登地震被災・富来伝道所献堂式
能登半島地震被災教会の一つ、羽咋教会富来伝道所が再建され、献堂式が3月17日行われた。夜来の雷雨も朝方には上がり、陽春の光射す午後2時、県内外25教会から62人の出席者が玄関ホールまで埋め尽くす中で、献堂式が始まった。
「この岩の上に教会を」と題する式辞で、内城恵牧師は、「この2年間、多くの方の祈りに支えられ、励まされて過ごして来た。私は阪神大震災の時、西宮市に住んでいたが、この時被災していなかったら、私は牧者として立てられていなかった。その12年後、能登半島地震に遭遇した。60年以上の老朽化した建物の柱、床は歪み 、無数の亀裂が生じた。私たちの教会には再建する力がなく、この地での礼拝を終える時が来たと考えた人もいた。
私は、この地で礼拝を守り続けよとの主の宣教命令が下されていることを信じ、全国諸教会の祈りと支援により、今、献堂を仰ぎ見ている。イエスがペテロに「岩の上に教会を」と宣言した宣教命令が今ここに実現していることに、深い感謝と感動を覚える。
60年間の伝道所の歴史の中で、一人の牧者が与えられ、一人の姉妹が牧師夫人となり、昨年のクリスマスに一人の兄弟が、羽咋教会10年ぶりの受洗者となった。小さな群れだが、神と人との出会う場所、祈りと讃美に満ちた場所、伝道の小さな証しの場になることを願っている」と力強く感動的に述べた。
富来伝道所は1951年、信徒宅の提供を受けて設立され、広い二階を利用して、能登圏教会の夏季修養会、夏季伝道の場でもあった。
再建された会堂は、木造平屋建て79㎡、総工費1508万円。式辞を象徴するかのように、正面の壁に岩を模して薄い石板が組合わされ、張られている。
祝辞に立った内藤留幸・教団総幹事は、「危機管理には初動が何よりも大切だが、中部教区は機敏かつ適確に動いてくれた。今、み言葉を二つ思い浮かべている。一つは『見よ、新しいことをわたしは行う』(イザヤ43・19)、もう一つは『見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び』(詩編133編)。新し い能登伝道のために、神様は用意して下さり、会堂が再建されたことに感動を覚えている」と語った。
続いて、長山信夫・能登半島地震被災教会会堂等再建支援委員会委員長(銀座)は、「被災教会の再建は、単に会堂の再建だけでなく、教団が再建されるのだという思いを持っている。伝道はみ言葉の種を蒔くこと。蒔き続けられれば、何十倍の実を結ぶことが出来ると確信している」と述べた。
献堂式に引き続いて感謝会が行われ、中部教区、近隣教会などの関係者が、こもごも喜びを語った。
高橋潤・中部教区議長は、「夢のような日を迎えているが、礼拝の灯火を灯し続けて来たからこそ、再建が成った。まだ、七尾、羽咋教会会堂再建が残っている。この一歩が大きな一歩となることを祈っている」と語った。
釜土達雄・七尾教会牧師は、「私を含めて、富来の夏季伝道を通して多くの牧師が育ち、各地に羽ばたいて行った。小さな教会の存在に重みがあることを今、痛感している。富来はかつて能登半島の重要な港で京都・九州と交流し、富来の名も、富が来ることに由来している。諸教会の祈りと献金によって成り立った会堂という宝 物を、各地に持って帰ってください」と出席者に呼びかけた。
支援募金は、3月12日現在、1億1690万円、目標の78%に達したが、目標達成に向けて、全国諸教会の一層の祈りと支援を心から願う。 (永井清陽報)