【4670号】献身の時 No.2

 

「父が見ているもの」に気付かされ
飯塚拓也(竜ヶ崎教会牧師)

私の献身は、牧師であった父の死がきっかけです。
私が高校三年の終わりの頃に、父は直腸癌が見つかって手術を受けました。当時、告知はまだ一般的ではなく、父にも特に病名は知らせませんでした。けれど、父は知っていたようで、「僕は癌に勝った」と退院後親しい人に語っていました。二年後に癌が再発し再入院となりましたが、癌が全身に転移し手の施しようがなく、約 半年の病院生活の後に天に召されました。
この再入院の期間は、母が教会と付属幼稚園を守り(岐阜県の農村教会でした)、大学受験に失敗し名古屋で浪人中だった私が父の世話をすることとなりました。癌センターへの入院でしたので、昼過ぎに病院に行って、夜に下宿に帰る毎日でした。当時は病状が重くなると二人部屋に移ったのですが、夜に病院を後にして翌日行 くと、隣の方が変わっていることがありました。それは、自分が癌であることを知る者には、残酷な現実でした。
「もし、自分だったら」と、ベッドに横になっている父を見ながら考えたものです。「どうせ死ぬなら家に帰りたい」と叫ぶだろうし、人生への未練や神さまへのうらみの一つぐらいあって当然だろうと思いました。けれども、父はそのようなそぶりは全くなく、むしろ死ぬ時が近づけば近づくほど、文字通り「幼子のような瞳」 となっていったのです。「平安」がベッドを包んでいました。
ある時に、思い切ってこう尋ねました。「これでよかったの?」
この問いには、私の子どもの頃からの心の叫びが含まれていました。父は農村教会の牧師で、文字通りの田舎牧師でした。手ぬぐいを腰からぶら下げ、土の匂い・汗の匂いが父の匂い。農繁期の日曜日には誰も礼拝には来ないと分かっていても、説教を準備し、母と二人の礼拝を守る人でした。素朴で不器用な牧師で、富も名声も 求めない人でした(家族としては、富も名誉も少しは求めて欲しかったのです)。ですから、「どうして神さまはこんな形で父の人生を終わらせようとするのか」と私には納得がいきませんでした。何より父はどう思っているのかをどうしても聞いておきたかったのです。
私の問いに対して、父は確かにうなずきました。言葉はありませんでしたが、このうなずきは「これでよかった」と語っていました。私は、後ろから思いっきり頭を殴られた気がしました。目が覚めたというのでしょうか、「父が見ているもの」に気付かされたのでした。富や名誉ではなく、『神の国』を求めていたことを。
心底、「うらやましい」と思いました。「自分も、これでよかったといえる人生を送りたい」と願いました。これが、私の献身の理由です。ある意味、不純かもしれません。自分のため、なのですから。
父の葬儀を終え、納骨を終えた帰りに、母に献身を伝えました。「学費は自分で働くからいいよ」と言いました。すると、「学費はある」と母がいうのです。「お前が生まれてから、いつか神学校に行く日が来ることを祈って、蓄えておいた」と。私を「拓也」と名付け、「この子が将来献身して、開拓伝道を使命とするように」 と願って、日々祈り蓄えていたことを初めて明かされました。高校生の時期には大反抗をして、いかに教会から離れようか、間違っても牧師には決してなるまいと誓い、狼藉をつくしたその時にも、私は祈られていたのでした。
この話しはできすぎのようですが、でも本当の話です。

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