【4659号】伊豆大島で伝道講演会

伊豆大島で伝道講演会

石井錦一牧師の体験的伝道論

「伝道とわたしたち」 信仰の基本に立って

教団伝道委員会主催の伝道講演会が、大島元村教会(並河光雄牧師)を会場に開催された。静岡教会(伊藤瑞男講師)、岡山教会(東岡山治講師)、島之内教会(西原明講師)に続き第四回となる。今回の講師は、石井錦一氏(松戸教会牧師)。大島ではあまり行われないという夜の集会だったが、満席に近い会衆が集められ、力強く讃美の歌声が響いた。

講演は、1.神学生として学んだこと、という小見出しのもとに、神学生時代、教会員からピアノや茶道を習った体験談から始められた。戦後間もなくの頃、練習後にいただくご飯を目当てに通ったもので、決して熱心とは言えなかったが、讃美歌を歌う自分の声が音程を外した時、それと分かるようになった。そこにこそ教会員の狙いがあったと、後で気付かされる。同様に茶道も仕込まれ、茶の席は勿論、さまざまな席に怖じずに出られる程にはなった。

このエピソードと、洗礼を授けてくれたラング宣教師の思い出が重なる。ファンダメンタルな信仰を抱いていた師の信仰指導の基本は、「聖書以外の本は読んではならない」。道を逸れそうになると、「あなたは悪魔です」と言う叱責が待っていた。極端なようだが、この言葉は、後々まで石井氏の牧師としての歩みをただし、整えてくれた。今日に至るまで、説教そして牧会・伝道に向かい合う際の基本の基本となっている。

以上は、講演のほんの枕の部分だが、推察いただけると思う。石井氏の講演は、思い付くまま四方山話を語っているようで、実は一本の筋が通っており、個々のエピソードは、ジグソーパズルの部品のごとく組み合わされていて、無駄なものは一つもない。個々のパーツに興味を惹かれているうちに、あまり表面に押し出されてはいないが全体を貫いている主題を、一緒になって考えさせられている、そのように受け止めた。

終始、聴衆の笑い声に溢れていたが、後で思い起こすと、腕組みしてなるほどと唸るような、深い教訓が込められていた。

この後、話は佳境に入り、2.伝道者となって学んだこと、3.牧師としての学びのとき、4.伝道者としての原点と続き、実に豊富な体験、尋常ではない特異な出会いの数々が披瀝された。

全体をミニチュア化して紹介すると、氏の体験・出会いまで矮小化するかも知れない。それこそジグソーパズルのパーツを拾い上げる格好になるが、特別に輝きがあると見た一片を、特別に形が面白いと感じた一片を紹介したい。

23.では、牧師・伝道者として出会った信徒や同労者が、次々と登場する。ここでも、出会いによって育てられたことが強調された。牧師とは、人を教え育てる存在ではなくて、教えられ、育てられるものであるかのようだ。

ここで取り上げるべき一片は、結核病棟を訪ねて聖書を学んだ話。心待ちしてくれる患者が、この人なりの最高のもてなしと、頂き物の饅頭を勧めてくれる。日が経っており黴が来ていることに、視力の弱っているこの人は気付いていない。石井氏の目には黴が見えてしまうが、それを、おいしいと言って食べる。不思議とお腹を壊さない。人との出会いは胃袋まで鍛えたようだ。

4.では、会堂建築の顛末、最大時十五箇所もあった家庭集会のこと、保育所が地域社会との接点となり多くの活動の場が与えられたこと、そして、「信徒の友」編集長として、出会い・働きが与えられ、幻が育てられたことが述べられた。

市の要望にも応え、役員会の中にも強い反対があったが、粘り強く説得し、六階建てのビルの最上階を礼拝堂とする会堂建築を行った。一~二階は保育所、屋上には十字架が掲げられた。この出来事は、氏の、伝道者としての姿勢を端的に表すものだろう。常に、十字架を高く掲げる。多くの人々に見えなくてはならない、隠されていてはならない。十字架は、多くの人々の生きる目当てとならなくてはならない。

また、極めて印象的だったことには、石井伝道方式の要であった家庭集会による伝道を、当人が、社会や家庭の有様が変化した現代では通用しないと言い切った。自分は得手ではないので分かったようなことは言えないとしながらも、パソコンの駆使、ホームページの充実、その他にも多くの術があるだろう、何より新しい伝道システムを構築することが肝要と提言した。

ここでも、1の大前提に立ち帰ることになる。基本の基本が大事、それを修め、そこに立つ者だけが、あらゆる局面に対応し、全てのものを援用できる。

5.これからの伝道では、①社会施設に於いて、子供のため・働く人のため、保護者のため伝道すべきと力説した。

保育所の職員採用試験に際しては、礼拝出席を奨め、出席を約束して貰う。キリスト教主義で教育するのだから当然のことであり、保護者にも同様に礼拝・教会を案内する。この点に関して、信教の自由を言う人があるが、キリストの名をもって教育する以上は当然のことであり、この姿勢を批判する人は、むしろ経営のためだけに幼稚園や保育園を運営しているのではないか、そのようなものならば教会には不要と、断じた。

②信徒訓練では、牧師の立場にある者がなかなか触れづらい献金について述べた。本当の意味が分からないから献金意欲が湧かない。給料ではなく謝儀、神への感謝である。献金を例にとりながら、簡単・簡潔な信徒訓練の必要が語られた。③地域社会での牧師としての働きについて、ここでも多くの具体例、具体的な提言が述べられた。

(新報編集部報)

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