2月11日は、日本の建国記念日とされる。しかし、主イエスと共に歩む我らにとって、「建国」とは、取りも直さず、「神の国建設」を意識させられる。「先ず神の国とその義を求めよ、あとは添えて与えられる」とされる故に、先ずは、神の国を目指して進まねばならない。
この世の「国家」、すべての権力は、神の国の下に成立する。神の赦しと許しがあってこその「建国」である。人間の歩み、しかも正しく聖書の神と向き合わないこの世の建国は、甚だ未熟であり、的外れな罪深いものとなる。実際、我が国のみならず、キリスト教国と言われる世界の多くの国々さえも、同様に失敗と間違いの繰り返しがある。
その「この世」と「真の神の国」との狭間にあって我らのなすべきことは、執りなしの祈りと悔い改めの歩み、更に「この世」に絶望せずに関わることである。国を導く政治家が道を踏み外さぬよう祈り、間違いがあれば悔い改めるよう祈り、国家と神の間にあって、主イエスと共に、執りなしの祈りに邁進する。「悔い改めと立ち帰り」を表明しつつ、来るべき「神の国」に備えることこそ、この日にふさわしい「時」の用い方の一つである。
我が教団では、「信教の自由を守る日」とされるこの日、「不自由」であった時代を経験したからこその表現であろうが、不自由を押し付けられないための「レジスト(抵抗)」が真の目的であろうか。どんなに不自由・不平等・理不尽な時代や状況があったとしても、心の内側の「信教・信仰」は、どこまでも自由であり、神により、それらが保持されてきた感謝の歩みがある。「悔い改めと感謝」を軸としつつこの日を意識したい。
全国のこの日の集会の上に、神の豊かな祝福があるよう、祈ります。(社会委員会 芳澤 信)