常磐教会は、福島県いわき市の少し山よりの場所に位置し、常磐炭鉱に働く人々への伝道を使命として、職域伝道でたてられた教会です。炭鉱の閉山に伴う困窮の地域に保育園を創設したり、教会に幼稚園を開園したり、地域との深いつながりを持つ歩みをしてきました。
東日本大震災で会堂が全壊し、3年間を、3キロほど離れた保育園で礼拝を続けてきました。そして、教団・教区と全国の様々な教会からの大きな支援を受け、昨年4月に献堂式をすることができました。会員12名の教会にしては立派すぎるかもしれない会堂ですが、被災し移住してきた人々の、絆作りの場として用いられています。暖かい木のぬくもりが、集まって話をする時に、住んでいた元の場所を思いおこさせ、安堵感を持つと言って下さいます。
「被災地」という言葉を聞いて、東日本大震災を指すという感覚は、もうなくなっているのかもしれません。その後に起きている大きな災害が、「被災地」を次々と作り出している現実があります。それでも東日本大震災は、その被害の規模と影響の大きさだけでは語り切れない状況が、今も続いています。放射性物質による汚染の被害は、原発からの距離や県境という物理的な区切りを超えて広がり、元の地域という枠組みを崩壊させ、住む場所を追われた人々を大勢生み出しました。
福島県内では、低線量地域と言われているいわき市域にある常磐教会は、福島第一原子力発電所から47キロの場所に位置していますが、原発事故当時は屋内退避の指示が出され、安定ヨウ素剤が配られたものの、服薬指示は出ませんでした。中途半端な状態に置かれている地域かもしれません。しかし、ここに住む人々は、特に子どもたちの未来に強く責任を感じます。子どもたちをむしばむ甲状腺がんが増えているのは何故か。将来、身体にどのような影響が出てくるのか。不安を持ちつつ生活せざるを得ない現状を見据えていかなければなりません。
私たちの教会は、会堂に東北ヘルプが母体となる食品放射能計測所を併設し、これから何を基準として避難し、どういう仕方で生活することがより安全なのかを、共に悩み、共に選択する重荷を負い続けていきたいと願っています。
被害の程度の違いはあっても、元の場所を奪われた喪失感を経験した教会員は、常磐教会の原点に立ち返って、被災してきた移住者や地域の人々を、隣人として歩む選択をしました。主によって種まかれて、「その場所に伝道し、実りを増やす使命」は十分に果たせてはいないかもしれませんが、主が、この場所に住む人々を見放してはいない事実を証ししていくことこそが、常磐教会の使命であると受け止めて、地域との関わりを大切にしていきたいと思っています。
(常磐教会牧師)