【4816号】宣教師からの声 番外編 福岡女学院創立者ジェニー・М・ギール 福岡女学院資料室  

 福岡女学院の歴史は、米国メソジスト監督教会の日本宣教にその源を発する。学院の創立は、「切支丹禁制」の高札が撤去された1873(明治6)年から、12年を経た1885(明治18)年のことである。

 1873(明治6)年、米国メソジスト監督教会は、横浜、東京、函館、長崎に4人の宣教師を派遣し、長崎にはジョン・デヴィソンが派遣された。それらの地には教会が建てられ、キリスト教に基づく学校が設立されていった。特に理解に乏しかった我が国の女子のための学校創設は、こうしたキリスト教の宣教に負うところが大きく、日本の女子教育の先駆けとなった。

 1884(明治17)年、福岡で最初の教会(福岡美以美教会)が設立されると、次第に女子の学校開設を望む声が強くなり、この声が、当時、米国メソジスト監督教会の九州地区の拠点であった長崎に伝えられた。

 1885(明治18)年4月22日、当時、長崎の活水女学校にいたギールは、神学生大島サキと福岡を訪れ、6日間滞在し視察した。その後、5月28日にギールはデヴィソンと大島を伴い再び来福し、6月15日、福岡美以美教会の仮会堂で、キリスト教による女子の学校、英和女学校を開いた。これが後の福岡女学院である。

 福岡女学院の創立者ジェニー・M・ギール(Jennie Margaret Gheer)は、1846(弘化3)年11月13日、米国ペンシルバニア州プレア郡ベルウッドで生まれた。ペンシルバニア州立師範学校で学び、卒業後アンティス、タイロン、アルトーナ地区の公立学校で教鞭をとった。その頃、米国メソジスト監督教会婦人外国伝道会の海外伝道の話を聞き、召命を受け、その道に献身したい旨を同会に申し出た。同会はその志を受入れ、ニューヨーク支部の派遣員とした。そして、シンシナチ支部派遣のラッセル宣教師の協力者として、1879(明治12)年11月13日、ゲイリック号で来日し長崎に着いた。その時、ギールは33歳であった。

 長崎ではラッセルを助けて、活水女学校の創立に尽力し、創立後は神学科指導者として、また音楽に優れ、音楽科の開設にも努力し、創業期における活水女学校のすぐれた功労者とされた。なお、地域での活動の場を広げ、日曜学校の開設、婦人運動の指導などにも力を注ぎ、また、この地方の音楽の開拓者と呼ばれた。

 1885(明治18)年6月15日、英和女学校の初代校長となったギールは、学外の活動にも骨身をおしまず活動し、福岡師範学校の生徒たちで、聖書を学び英語の勉強にやって来るものたちを熱心に指導し、また頼まれれば英語の教授にも出かけた。

 特に婦人伝道師の養成に力を注いだ。そのことは、1885(明治18)年『Heathen Woman’s Friend(異教国の婦人の友)』3月号に掲載された「長崎で初の婦人伝道師ジーン・ギールからの手紙」の中で紹介されている。

 ギールは暇を利用して茶道を学び、地域の人たちとの交わりにも努め、学内、学外を問わず、教育と伝道に誠実に取り組む校長として信頼を集めた。

 しかし、1887(明治20)年6月、健康上の理由により在職わずか2年でやむなく校長を辞任し、帰国することとなった。

 その後、再び来日、伝道のための尊い働きがなされた。伝道旅行を続けて積極的に福音を説き、たびたび福岡を訪れて英和女学校のためにも尽力した。

 1891(明治24)年、活水女学校で婦人伝道者養成クラスを指導していたが、再び健康を害して、1894(明治27)年6月帰米して休養をとった。

 1896(明治29)年、再度来日し1907(明治40)年7月に帰国するまで、九州婦人伝道者養成の責任者として活動した。

 1909(明治42)年5月、モンゴリア号で再び日本へ向かう途中、ギール他多くの乗客が食中毒で倒れた。充分な回復を待つひまもなく鹿児島で伝道の仕事に就いたが、1910(明治43)年2月、長崎の聖ベルナール病院に入院した。

 同年5月17日、ミネソタ号で日本を離れ、6月13日に故郷ベルウッドの妹アンナの家に着いたが、手厚い看護にもかかわらず、わずか1週間後の6月20日午後3時、63歳で永眠。ベルウッドのローガンヴァレーにある両親の墓地の側に葬られた。

 なお、ギールは日本では、ジェニー(Jennie 又はJenny)という名前を用いたが、墓碑にはジーン(Jean)と記されている。

 ギールが日本で福音を宣べ伝えた30年の間、常に愛用したといわれる聖書が、米国ペンシルバニア州ベルウッド教会(ギールの母教会)の元牧師夫妻によって届けられ、本学創立100周年の1985(昭和60)年5月29日に講堂で贈呈式を行った。

 1984(昭和59)年7月、米国合同メソジスト教会のアルトーナ地区総会で、ギールの偉大な業績が紹介され、その中で彼女は今際の時、所属教会の牧師に次のような言葉を残している。「わたくしの名前は覚えられなくてよい。すべては私たちの主イエス・キリストの栄光のために覚えられるべきである。」(Kyodan Newsletterより)

  • 日本伝道の推進を祈る日

    「2021 日本基督教団教会・伝道所一覧」発行

    10

    新型コロナウイルス対策資料

    共に仕えるためにPDF

    牧会者とその家族のための相談電話

    International Youth Conference in Kyoto

    日本基督教団2019年度宣教方策会議

    公募・公告

    エキメニュカル協力奨学金 申込書類一式

    日本基督教団年鑑2020年版

    よろこび

    日本基督教団 伝道推進室

    東日本大震災救援対策本部ニュース

    にじのいえ信愛荘

    教団新報 archive

    教日本基督教団 文書・資料集 申請書等ダウンロードコーナー

    月間 こころの友