【4815号】宣教師からの声 番外編 アメリカンボードのパイオニア婦人宣教師 佐伯裕加恵 (神戸女学院史料室)

 「街で出会う少女たちの多くは大変魅力的に見え、わたくしは彼女たちと話し合えるようになりたいと切に願っております。わたくしは、当地にありますことに、またこの小暗い国に福音の光を与えるために何かをなし得ようという望みの故に、深い感謝を捧げるものでございます」(1873年4月12日附タルカット書簡第313号)。

 1873年3月31日、2人の女性が神戸の地に降り立ったMiss Eliza Talcottと Miss Julia E1izabeth Dudley、この2人がのちに神戸女学院を創立する。2人は、アメリカのボストンに本部のある海外伝道団体 American Board of Commissioners for Foreign Missions(通称アメリカンボード)から派遣された初の独身婦人宣教師であった。

 冒頭の手紙はタルカットが日本から初めて本部へ出した報告書簡の一節である。彼女たちは日本女性へのキリスト教宣教の使命を胸にこの地にやってきたのである。2人はこの年秋に、早くも私塾を開く。日本人たちが「外国語だけで聖書を読めるようになることを願って」(1874年5月16日附タルカット書簡第315号)、小さな私塾を運営する傍ら、2人は各地に伝道のため赴いている。タルカットは播州へ。ダッドレーは三田へ。

 「必ずやこの国は、まもなく、たくさんの子女を『主の道』における指導者や教師として擁することになりましょう。わたくしが三田から戻りましたとき、2、3の母親がわたくしに申しました『自分たちの娘たちをあなたに連れて行ってもらいたい、そして自分たちにできるよりもよく、娘たちを教え導いてほしい』と。また、該地滞在中、日に2度会っておりました少女たちは泣いて、わたくしについて来ようとさえいたしました」(1874年6月20日附ダッドレー書簡第71号)。

 ダッドレーの三田伝道の成功が、神戸に女子のための寄宿学校を正式に開校するための後押しとなった。1875年10月12日、「少女たちが一層直接的な感化に与れますようなホーム」(同上)、「女学校」が誕生する。「単に宗教教育のみではなく、彼女たちが他の人々の教師となってやってゆけますような、世俗の訓練をも受けられる学校として」(タルカット書簡第315号)。

 学校は順調に発展する。しかしタルカットもダッドレーも学校だけにこもっていたわけではない。積極的に家庭訪問や伝道を行なった。

 「わたくしは学校の重要性を無視するつもりはございませんが、しかしながら、全く学校に参りませんでも、わたくしの時間を全て費やして余りあるほどの仕事を見い出し得るのでございます。時には本当に、家庭の婦人たちの間での活動が有望なものですから、わたくしがより広い視野に立ち、わたくし共の仕事は将来どれほど多くこの少女たちのお蔭を蒙ることになりますかを実感いたしませんと、学校での仕事にはほとんど満足を感じさせられなくなります」(1874年12月1日附タルカット書簡第316号)。

 創立から5年後、遂に創立者たちは学校を後任に譲って、市井の伝道に専念する決意を固める。1880年、タルカットは岡山伝道区に移り、以後、休暇帰米をはさんで、鳥取、京都など日本各地で宣教活動を続ける。岡山では石井十次の岡山孤児院設立に影響を与え、 京都では京都看病婦学校において宗教教育を受け持ち、濃尾大地震の際には被災地救援の ボランティア活動に従事、広島では病院訪問伝道を行ない、「日本のナイチンゲール」と 称された。

 晩年は元同僚のダッドレーが開校した神戸女子神学校を拠点に宣教に尽力した。人々の求めに応じて救援に向かう姿を他の宣教師たちは「Emergency Evangelist of the Mission」と呼んだという。

 もう一人の創立者ダッドレーは、女子伝道者養成の必要性を強く感じていた。

 「わたくし共が、わたくし共の手に余ることをしてくれる婦人たちを養成するクラスの必要を感じております旨、アッキンソン氏が御報告申し上げました。婦人たちのために働いてまいりました。わたくし共はこれまで、各人にこの活動に対する自分たち自身の責任を感じてもらおうと努力いたしましたし、婦人たちは立派にやってまいりました。けれどもこういうやり方では応じきれないほど大きな需要がございます」(1880年8月30日附ダッドレー書簡第77号)。

 そこで女子聖書学校(のちの神戸女子神学校)を1880年に創立し、宣教師を引退、帰米するまで後進の指導に努めた。2人が最後に拠点としていた神戸女子神学校は優秀な女子伝道者を世に送り、日本のキリスト教伝道に貢献した。

 一方、2人の去った女学校は発展を続け、日本における女子高等教育の実現をめざして神戸女学院(Kobe College)になっていく。

 2代目校長となったMiss Virginia A1zade C1arksonは神戸の女学校の方向性の舵を、宗教学校から教育機関へと切った。そして、3代目校長・院長Miss Emily Maria Brownと4代目院長Miss Susan Annette Searleは女学校を、女子高等教育機関へと育て上げ、5代目院長Miss Charlotte Burgis DeForestが完成させ た。

 今、神戸女学院には婦人宣教師はいないが、これら歴代婦人宣教師の志が今日に引き継がれている。(Kyodan Newsletterより)

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