「あゝオベリンナー、もろ手を挙げて イエス イエス イエスと(女声) イエス イエス イエスと(男声)叫ぼうよ♪」
このインパクトのある桜美林学園歌に聴き覚えのある方は、恐らく50歳代以上の方ではないかと拝察します。「夢を見よ、夢は必ずなるものぞ、うそと思はば甲子園にきけ」と、創立者・清水安三が詠んだのは1976年夏の甲子園でのこと。PL学園を破って優勝した際に、全国に流れたこの校歌がいまだに耳に残っているという方も時々いらっしゃいます。
戦時中、清水が組合教会の派遣宣教師として中国に渡り、飢饉に瀕した北京での災童収容施設から始まった学園の歴史も2021年には創立100周年を迎えます。当時(1924年)、清水安三はこのような言葉を遺しています。「私たちは国家を超越して中国のために中国で伝道することを望む。…いずれの国にあっても十人や百人ぐらい、自国のことを忘れてしまって外国のために身を献げるものがあってもよいと思う。そういうような超国家的な人間が他国のために働いているということが、民族と民族を親善ならしめるのだ」(著書『石ころの生涯』174頁)。
桜美林の前身である『崇貞学園』は、敗戦を機に中国政府の管轄下におかれたものの、帰国後、新たな学校建設を決意した清水安三は、「真の学問・教養は、神そして世の人々に事(つか)えるためにある」とする、「学而事人(がくじ じじん)」“Learning & Labor”を建学の精神として掲げ、敗戦の翌年1946年に、賀川豊彦の助力を得て『桜美林学園』をスタートさせます。キリスト教精神に基づく国際人(超国家的人間)の育成をモットーに掲げた学園に、創立者の理想は連綿と受け継がれています。
「桜美林の教育を一言でもって尽くせば?」と、新聞記者に訊かれた清水安三は、即座にこう答えたといいます。「生徒に夢を抱かせよ、教育とは結局、愛である!」。そして清水安三が愛した聖句は「為ん方(せんかた)つくれども希望(のぞみ)を失わず」(文語訳コリント後書4章8節)の御言葉でした。
「夢」や「希望」は、若者たちにいくら強調しても強調し過ぎるということはありません。教務教師は、聖書やキリスト教を「教科」として扱うにせよ、単に「知識」や「学問」を教えているのではありません。公教育の現場では、直接伝道ではないにせよ、教務教師の使命は、礼拝、授業、フィールドワーク、ボランティア活動等々ありとあらゆる機会を捉えて、十字架と復活に根ざした「夢」と「希望」を若者たちに与え続けることです。
御言葉には「夢」を抱かせる力があり、神は語られる時、必ず「希望」を創造されます。私たち教務教師は、この偉大な力に日々畏れおののきながら、若い魂と向き合っています。
生き方を見失い、絶望の淵にうずくまる日々を過ごしていた一人の若者の心に、夢と希望の光が射し込みはじめた時、そして、学校生活の中で多様な価値や文化に触れ、信仰と知性において一回り大きな成長を遂げて門出していく時に、私たちは深い感謝の念に満たされ、教務教師冥利に尽きる無上の喜びを味わっているのです。
(教会と学校との間の連携や相互理解を深めるためにも、キリスト教学校教育同盟や各キリスト教学校のホームページの情報をぜひご覧ください)。