恵まれた道を行く隻腕の設計技師
不慮の事故で利き腕を失って三〇年余り。人に知れない労苦も当然あろうが、「大きな障害や問題もなく、ただ恵まれた道を一所懸命に歩んできた」と、隻腕の設計技師堀江悦男さんは振り返る。
幼い頃、絵描きになるのが夢だった。しかし、周囲の人々の助言もあり、より現実的で絵描きの賜物も活かせる建築設計技師への道を選んだ。画家への夢と賜物は、創造的なデザイン・設計に存分に生かされ、やがて大きな建築設計を担当する機会が巡ってきた。
さらなるステップへのチャンスと、打ち込むのが当然だった。積み重なった過労は、いつしか限界を超えていた。朝の出勤時、駅のホームに立ちながら意識を失い、線路に転落した。ちょうど電車が入線してきたが、たまたま体が線路の間に入り、九死に一生を得た。ただ、命と引き替えに、大事な利き腕を失った。設計技師としては致命的だ。希望から絶望への転落となってもおかしくない事故だった。
残された腕の訓練のために、なぜか聖書を書き写していた。この転落事故は、自分が築いた虚構の価値からの転落とも受け止めた。一年後、事故以来初めての出社の帰り、なぜか教会に足が向いた。幼い頃通った教会だった。命が再び与えられた感謝を、誰に述べればよいのか。不確かだったが神への祈りをしていた。
建築関係の仕事はシビアな取引も多い。ルーズさへの誘惑もある。しかし、神の真実の前に生かれているかぎり、いつも愚直に信実であろうと努めている。とくに住宅の設計には、個人の具体的な生活に立ち入ることにもなる。そこで新しい生活が築かれることを思うと、家庭のあり方、生き方も問われる。
悦男という名は、子供の顔を見ずに応召した父が残してくれた。「いつも喜んでいなさい。どんなことにも感謝しなさい」。の言葉をどんな状況でも言えるように生きたいと願っている。