教会が立ち続けるために
久世そらち
どこの教区でもそうだろうが、とりわけ北海教区においては北海道という地域の社会的・歴史的条件が宣教の働きに大きな影響を及ぼしていることを痛感している。 明治以来、内国植民地として位置づけられてきたこの豊かな広い島は、水産・鉱物・石炭・木材・農産物など時代ごとに必要とされる資源と市場を日本に提供し、そしてそれらが不要とされると捨てられる歴史を繰り返し、また日本の抱えるさまざまな矛盾の処理場としても利用され続けてきた。
現在は活動休止しているある教会は、炭鉱の町に建てられた。かつての繁華街は、今、ぼうぼうの草地と化した。石炭が必要なときは、ここに駅ができ役場ができ、映画館も居酒屋も床屋も医者も来て、そして教会もやってきた。しかし石炭が不要になると、線路が無くなり病院も学校も消え、店も飲み屋もここを捨てて去った。教会もやっぱり去っていくのか?
別の町では、かつて林業で栄えた頃にできた教会が「合併」という形で閉鎖された。その教会出身の信徒の「町が栄えた時には牧師もやってきて伝道し、自分たちをキリスト者にした。そして苦しくなると教会は去り、自分たちは置いていかれた」と、憤りに近いつぶやきを聞いたことがある。
伝道を始めるよりも難しいのは「去らない」ことかもしれない。北海道の地で「でも教会は自分たちを捨てない」という信頼を得るまで教会が立ち続けることのために、北海教区の努力はある。
(北海教区総会副議長)