【4581号】伝道のともしび

「さいはて」こそ伝道の拠点

輪島教会牧師 勇 文人

朝、金沢方面に車で向かう途中、何台もの観光バスとすれ違う。「奥能登さいはての地めぐり」や、「辺境を旅する」などと銘打ってバスツアーが実施されているのが分かる。私は六年余前、輪島に遣わされた当初、この地が「さいはての地」と呼ばれていることに、あまり良い感情を持たなかった。
しかし、鉛色の雲に覆われ牧師館を揺らすような激しい暴風雪が連日吹きすさぶ冬は、荒涼としたイメージさえ漂わせる。能登半島の北端にある輪島は鉄道が四年前に廃止となり(今年三月には珠洲線が廃止となったために奥能登から鉄路は完全に消えた)、交通手段はバスと車しかない。同じ能登伝道圏を構成している「隣りの」七尾教会まで六〇キロ、羽咋教会まで七五キロ離れている。さらに金沢までは一二〇キロという地に住むと、車は貴重な交通手段となる。私の車の走行距離は毎年三万キロを超える。教会を訪ねる遠来の方が口をそろえて言うのは「遠いですね…」。なるほど、奥能登の地、輪島は「辺境の地」「さいはての地」なのかも知れない。
ところが、こんな「さいはての地」にも教会はたてられた。「地の果てまで救いをもたらさん」としたメソジスト教会の旺盛な伝道心がなければ、「真宗王国」と呼ばれる北陸の中でも、特に「伝道困難な地」である奥能登・輪島に福音の種が蒔かれることはなかっただろう。
そして、その旺盛な伝道心は、決して過去のものではない。今を生きる教会員一人ひとりにも脈々と受け継がれている。もちろん、具体的な数字となって教勢が伸びるわけではないかもしれない。過疎化・少子高齢化が進む地域にあって、それでも、常に朝夕で十五~二十人の礼拝出席者を維持し続け、教会学校も途切れることなく礼拝が続けられていることは、感謝である。まかれた種が芽を出し成長し収穫されることを信じて九十二年間ひたすら、福音の種が蒔かれ続けたのだ。
九年前に洗礼を受けた方は朝市で喫茶店をやっている婦人だが、子供のころ姉と一緒に教会学校に来たものの献金当番で祈ることがいやですぐに離れたという方だ。しかし、三十年後に夕拝に出るようになり、洗礼へと導かれた。三年前に受洗した婦人は朝市の煎餅屋さん。約四十年前に子どもたちを教会学校に送り出したことが教会とかかわったきっかけだが、四十年後に夕拝に出席するようになって洗礼へと導かれた。今年のイースターには二人の受洗者が与えられたが、そのうちの一人はかつてこの地にあったキリスト教幼稚園を三十年前に卒園した男性で、元園長との交流を通して礼拝に出席するようになり受洗へと導かれた。このように、蒔かれた種の収穫が幾世代もあとになることは、輪島教会においては珍しくない。この地での伝道は「林業的な伝道」だと言えるのかもしれない。
だからだろうか。日本伝道は、輪島教会にとっていつも祈りだった。この地から巣立っていって、日本各地の教会に連なっている人が少なくないからだ。具体的な人たちの名前と、その人が連なっている教会を覚えて祈っているし、輪島を離れていった家族や友人たちが連なることになるかもしれない教会のことを覚え、日本基督教団のためにも祈っている。
たとえ、「さいはての地」と呼ばれる土地であっても、住む私たちにとってこの地は決して「さいはての地」などではない。自分が住むこの地こそが中心だ。後ろは日本海。つまり、私たちの眼前には日本列島が広がっているのだ。

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