私の思いを超えたところで
両親がクリスチャン。教会に行くのが当たり前の生活だった。音楽に触れたのも、「将来奏楽のご奉仕ができれば」という親の祈りだったという。ピアノを習った先生が、本来声楽が専門だったこともあり、声楽の道に進んだ。
「自分は今のまま、長く歌手として生きることができない」限界を感じ、自分を崩したいと願うようになった。ミュンヘン音大に留学中だった。「でも、崩れる時って人間の想定内の崩れ方をしないんですね。本当に何もなくなりました」声を壊し、歌えなくなった。さらに帰国後、病が追い打ちをかける。「喉にかなり大きなポリープが見つかり、手術が必要になりました。声帯は筋肉ですから」。手術すると、またゼロから鍛えなければならない。
声を失って、歌えなくても教会は受け入れてくれる。できる範囲の奉仕もさせてくれた。「それがかえって嫌でした。私はこんなに弱いの。私に構わないで」と思った。しかし誰にも言えなかった。「○○して下さい」という祈りしかできない自分も嫌だった。そのため、一時教会を離れもしたという。けれどもその時、「イエス様だけは『私は弱いの』という叫びを聞いてくれた。今は弱くても、と思っています」幸い、経過は良く、再び歌うことが許された。
オペラの現場は、自分を前に、前にと出す仕事。いつも、人と自分を比較していた。舞台の上でも「あの人に比べて自分は」の連続だった。しかし、信仰によって、人との比較が不必要になった。そのため、かえって舞台の本質や物語の性格を把握できたこともあるという。
「今思うと、苦しい時『こんなに苦しくて祈っているのに、なぜ助けてくれないの』という祈りをずっとしていた。でも、それは自分の望みを自分の思う、目に見える形で与えてほしいと思っていただけだった。でも神様は人間が思う所ではお答えにならないのです」。