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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

【4587号】子どもたちを招き入れ

2005年9月24日

おとなと子どもの合同礼拝 小林克哉

いわゆる「教会学校の低迷」について語られるようになったのはいつ頃からだろうか。少子化や、子どもを取り巻く社会状況の変化など、外的要因も取りざたされる。そのような中、各教会とも様々な工夫や試みをなしているかと思う。
今回はそのような教会の一つとして呉平安教会の試みを紹介したいと思う。

・教会学校休校状態から

呉平安教会は一九〇四年に南美以呉教会として創立された。宣教師の働きにより幼児教育施設も設置され、教会は幼稚園と共に歩んできた。教会学校の生徒は在園児や卒園児が多くを占めていた。 しかし一九九二年に幼稚園が廃園になると、幼稚園つながりで来ていた子どもたちは次第に教会学校に来なくなっていったのである。教会学校教師だけで礼拝をささげる日が多くなり、遂に教会学校は休校状態に追い込まれることとなる。教会堂に子どもたちの声が聞こえない日々が続いたのである。
しばらく後、主日礼拝に教会員が小さな子どもを連れてやって来るようになる。その子どもたちを、そのまま帰していいのだろうかとの声から、礼拝後にテーブルを囲んで畳に座り、紙芝居を見たり、『こどもさんびか』を歌ったり、主の祈りを覚えることをした。呉平安教会「こども会」の誕生である。子どもたちの成長と共に、礼拝式順を整えて「こども会礼拝」へと移行することとなる。
当初は休校状態にあった教会学校の復活を願う声もあったが、単に教会学校があった時代に戻すのではなく、現状に合わせ、一からこども会を造り上げることとなった。多くの教会学校の礼拝は、主日礼拝前の朝早くに行っているかと思う。しかし呉平安教会の場合、主日礼拝に教会員や求道者のおとなといっしょに来た子どもたちのためにと始めたこともあり、現在でも主日礼拝後にこども会礼拝を行っている。

・おとなと子どもの合同礼拝の実施

そのような歩みの中、教会員の中から、イースターやクリスマスなどに、おとなと子どもの合同礼拝を行いたいとの声が出た。
一九九七年イースターに最初の合同礼拝が行われた。初めの数年はイースターやペンテコステ、そしてクリスマスなどだけであったが、二〇〇一年度より第一主日を合同礼拝とし、他にイースター、ペンテコステ、花の日、アドヴェントとクリスマス、年末年始の主日など合計すると約三分の一をおとなと子どもの合同礼拝としてささげている。
現在の合同礼拝の式順は、前奏・招詞・頌栄・十戒・讃美歌・祈祷・聖書・こども説教・祈祷、讃美歌、祈祷、説教、祈祷、(聖餐礼典)、信仰告白、讃美歌、献金、主の祈り、讃美歌、祝祷・後奏となっている。子どもたちは「こども説教」の後の讃美歌を歌うといったん退場し別室で過ごす。「説教」の後(「聖餐礼典」がある場合はその後)に再び入場し礼拝を続けるのである。
合同礼拝でない日曜日は、主日礼拝後にこども会礼拝が行われる。その場合でも、主日礼拝も「説教」の後には必ず子どもたちは礼拝堂に入って讃美歌を歌い、献金をささげ、祝祷を受けている。
呉平安教会では、おとなと子どもの合同礼拝を行うに際し、幾つかの点を確認している。一つは、合同礼拝は、先に信仰告白している信仰者の群れに子どもたちを招き入れての伝道礼拝である、ということ。求道者が、先に信仰告白している者の群れがなしている礼拝に迎え入れられることによって信仰へと導かれるのと同様の考えである。まるで子どもたちが主役であるかのように考えることはない。勿論礼拝の主役は主ご自身であるが。洗礼礼典に立ち会うことはよい経験のようである。自分たちが洗礼を受ける日が来ることへの憧れを引き起こしている。
もう一つは、橋渡しとしての役割。教会学校があった時代の大きな課題は、教会学校から主日礼拝になかなかつながらないということであった。教会学校の礼拝しか経験していない子どもたちにとって、主日礼拝との間には溝があったようである。教会学校の年令を超えると「卒業」というケースもしばしばであった。年間三分の一が合同礼拝の今は、子どもたちにとって主日礼拝も「自分たちの礼拝」となっている。主日礼拝との間に溝はない。
合同礼拝では『こどもさんびか』は使用していない。合同礼拝は将来への備え、子どもたちを主日礼拝につなげていくためのものでもある。讃美歌にも慣れておいた方がいいと考えている。
全ての主日を合同礼拝とはしていない。『こどもさんびか』を使用したりと、こども会礼拝にも合同礼拝と違う良さがあるのも事実である。

・教会の子ども

おとなとこどもの合同礼拝を行うようになる前まで、教会の中に子どもは教会学校教師や子どもの親たちにお任せという雰囲気があった。へたをすると教会と教会学校が乖離している場合さえあった。しかし合同礼拝をするようになり、いっしょに礼拝をささげるようになると、以前にましてみなが子どもたちのため祈るようになり、神様から教会に預けられている子どもたちという感覚が強くなってきた。今は子どもたちへの伝道・信仰教育は教会全体の責任として自覚されている。子どもたちも、ご高齢の方から、幼子までいる教会という一つの群れの中で育まれていることを感じているように思う。
教会学校が休校に追い込まれたある教会の歩みである。神の導きを感じる。
(呉平安教会牧師)

 

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