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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

【4588号】噴火・全島避難から5年が 再開された三宅島伝道所礼拝

2005年10月8日

福音伝道の灯を消すな

三宅島の雄山が火を噴いて、二〇〇〇年九月二日に全島民避難の指示が出されてから、四年半ぶりにようやくこれが解除となり、今年二月一日帰島が始まった。そして五月一日に島民以外の者も入島出来るようになったのを待って、五月二日、八月二九日、帰島後第一回目、第二回目の三宅島伝道所礼拝を行った。

五月一日(日)夜に竹芝桟橋に向かうロビーは、釣り客等でごった返していた。東京教区東支区三宅島雄山噴火被害救援委員会の木原恵子姉より聖餐式用のパンとぶどう汁を受け取ると船に乗り込む。同姉はぜんそく気味なので、いまだ有毒ガスの流れる島に渡ることは、残念ながら許されない。乗船したのは三宅島で食料雑貨を扱うストアを経営していた田中正之兄、田中恵美姉、うこっけいの養鶏をしていた赤羽美江姉、三宅島高校の校長夫人であった松尾純子姉。委員会側からは米倉美佐男東支区長、倉橋康夫支区書記、国府田佑人師、吉池光会計それに筆者の計九人。
軽い船酔いを覚えつつ翌朝五時過ぎ、雨の降る三宅島に降り立った。港には先に帰島していた、民宿を経営する鎌川文子姉、電気ガス水道の工事に当たる井上けい子姉、それに民宿の主人が迎えてくれた。宿について仮眠、朝食をとって、二台の車に分乗して伝道所関係者宅を廻ることにする。携帯を義務づけられたガスマスクを首よりぶらさげて。
赤羽姉宅、民宿経営の佐々木美代子姉宅、鎌川姉宅、井上姉宅と巡る。このうち赤羽姉は、ガスのため居住禁止地域に指定されている関係で、別の所に立てられてた村営住宅に入居する。鶏舎にはうこっけいの姿はなく、脇に置かれた車はガスのためボロボロになっている。背後の山は、枯れ果てた木が林立している。
午後三時礼拝を始める。伝道所の建物は一九八三年の噴火の際に焼け落ち、そのところが依然危険地帯に指定されているので、再建には至っていない。民宿の畳の部屋における礼拝である。集う者は、これまで名前があがった者一二名。鎌川姉の司会で讃詠”聖なるかな”をもって開始。ルカ福音書一二章二二節以下に基づいて「小さな群れよ、恐れるな」と題して倉橋師の説教。そのあと筆者の司式で聖餐式、田中兄による献金の祈り、米倉師による祝祷をもって、帰島第一回目の礼拝は恵みのうちに終えた。その後、懇談の時を持ち散会。
翌三日は朝に委員会を持った後、田中兄姉の所を訪ね店内の片づけやカヤ刈り等に当たった。そして午後三時半、鎌川姉、井上姉の見送りをいただきながら噴煙たなびく島を後にした。以上が記念すべき四年半ぶりの島での礼拝である。
その後、第二回目が八月二九日(月)にあったが、これを簡単に報告したい。内地からの出席は委員の倉橋師、国府田師、信徒の川上郁夫兄そして筆者の四人。三宅島の人は、鎌川姉、佐々木姉、井上姉、赤羽姉の四人で合わせて八人。場所は、鎌川姉の経営する民宿で行った。「苦難には意味がある」と題して筆者が説教、国府田師による聖餐式を持った。
今回、わざわざ見送りにみえた人々の中に赤羽姉のご主人の姿もあったことは嬉しいことであった。ご主人とは今回お宅に伺ったとき少し話を交わす機会が与えられた。兄の上に神の導きを祈りつつ再会を期して別れた。

ガスマスクを着けてでも

以上、帰島後持たれた二回の礼拝の様子を伝えたが、今後三宅島伝道についてどんな展望を持つことが出来るのか、「救援委員会」はどう考えているかを、以下に記したい。
①この十月より月一回の礼拝を持ちたいと考えている。これはこの度の噴火直前の姿に戻すことである。民宿等を借り代務者や東支区三役等がローテーションを組んで行っていたのであるが、その形にすることである。今回、島の皆さんと話し合い、当面第一月曜日の夜七時より礼拝を持つことを決めた。
いずれは毎週持たれることが望ましい。実はローテーション方式の前には、八丈島の教会より牧師が毎週出向き礼拝を守っていた。その間に、伝道所開始以来初の受洗者が与えられた。いずれの日か御心の日に、最寄りの島の牧師が毎週通ってくれるようになることを願っている。
②場所をどうするかであるが、当面は民宿等を借りて行うことになる。しかしいずれは拠点となる場所のあることが望ましい。「三宅島伝道所」あるいは「三宅島教会」の看板が付けられるような建物の確保である。
かつて島には三八〇〇人がいたが、四年半の間に亡くなったり、島外に住民票を移す人等により、三二〇〇人と減った。今回島に戻った人は、現在約二〇〇〇人である。従ってそこここに空家が見られる。閉鎖した農協建物もあったりする。このような物件を借り受ける、あるいは取得するというのが一つの選択肢としてある。新築ということもあるだろう。これに対する資金はこの度全国から送られた義援金の残金、また前回噴火の際に捧げられ、目下教団において保管しているもの等を充てることが考えられる。
尚伝道所が元あった場所は、草むすままになっているが、ここは先に記した通り、家を建てられない地域となっている。また場所としても島中心部よりは離れ、最適地とは言い難い。いずれにしても、土地を含め物件を得ることは慎重を期さなければならないが、三宅島伝道を志す以上、拠点はあってしかるべきであろう。
③伝道は簡単でない事を覚悟しなければならない。噴火前は七世帯一〇人余で礼拝を守っていた。噴火後、島に残る人は、当面四世帯四人となった。内、伝道所会員一人、他教会員一人、求道者二人である。誠に噴火は島民全ての人々の生活を根底より揺り動かすものとなったが、これはそのまま伝道所にも反映している。わずか四人で何が出来るのかと言うことである。島にある寺と神社、そのいずれかの墓地に全島民が帰属しているということも、伝道の容易でないことを物語る。
それに火山性有毒ガスの噴出である。これがそもそもの元凶である。これが人を島に寄せつけない。島の人々の生活を今なお苦しめている。真夜中でも発せられるガスの避難警報、枕を高くして寝ていられない。本当にガスさえなければ、海の幸に恵まれ、赤こっこが鳴き、ハイビスカスの咲き匂う楽園なのだ。
しかし兎に角、人はここに住まう。この人々に神の愛、キリストの恵みを伝える責任がある。伝道所の灯を消してはならず、これを持続させ、更に明るいものとしなければならない。
今後、島に向かう牧師は、説教し聖餐式を行い、メンバーの相談に与ると共に、『こころの友』等を持って家々を巡り歩き、勧誘に努めるといったことを心がけなければならないだろう。ただし、ガスマスクをぶらさげての伝道で、これは日本広しといえどもそうはないであろう。ガスが流れてきたならばマスクを着け、ガスのない所に移動しなければならない。三宅島伝道は、住民と同じように決死の覚悟を必要とする。
引き続き全国の兄姉に祈っていただかなければならないだろう。ガスの噴出が少なくなるように、止むように、伝道所の姉妹達が守られるように、伝道が進展するように。

(河合裕志報 三宅島伝道所代務者・東京教区東支区三宅島雄山噴火被害救援委員会委員長・西新井教会牧師)

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