牧師館に住んで35年
田中 道世
(土師教会員)
牧師を父に持つ夫が赴任して二年目の教会で結婚しました。
やがて子育ても加わり、私の予想していたよりもはるかに上回る力を必要とされる生活でした。
喜びも楽しさもありましたが、「助け人」と記入された結婚のための教会転籍表の言葉の重みもさることながら、一番困難に思ったのは、子育てです。教会の多くの事に受身で接することを要求される中で、自分だけではなく家族にまで影響を受けないようにすることは、とても大事な事です。さらに転任ともなれば、単に転校に留まらず、生活の中まで揺さぶられます。
先日、近くに住む小一の孫娘が会食懇談会で共に食事をした後、私の耳もとで「みんなのところで食べるのはいや、わたしのことばっかり言うもン」。娘に話すと「私の幼い時と同じ事感じてる」。
さまざまな困難の中で、いよいよ出口が見えない闇の中に置かれ、相談できる誰の助言にも解決の糸口はつかめず、打ちひしがれていた時に、静かに迫ってきたのが、それまでに学んでいた聖書のみ言葉でした。中でもヨブ記は、さし込む光となり、道となり慰めとなって私の前に現れてきました。神様は私の望むような生活では近づいてくださらない事、そしてみ言葉の深い味わいを知らされました。少しずつ自分が変えられていったと思います。
一つ一つの出来事の後に、教会へキリストの救いを求めて足を運ばれる方々の事が、あるいは教会の外で出会う人々の戦いがよく理解できるようになりました。
子供達は成人し、それぞれの人生を、たくましく生きています。私もまた強く(いいえ太くなり)、自分を大切にしながら、ユーモアで応じるゆとりまで得ました。
貸農園では色々な野菜も育ってくれ、会食には一品登場。庭で咲いた花を食堂やコーナーに活け、「説教に癒され、お花にいやされます」と、時折声をかけられます。
二つの任地とも、前任牧師の妻であった方々と共に過ごし、その間に牧師夫人であった夫の母と一〇年同居の後見送り、今は加えて他教会を隠退された牧師夫妻も出席しておられます。どなたもそれぞれの個性を持つ「牧師のパートナー」であられたことが、今の私には心強いことです。
現在、私は大阪教区婦人会連合の委員会に「牧師夫人の会」より協力委員の一人として参加しています。信徒を中心とした計一二名の委員は、二年一期の任期を熱心に奉仕し、婦人会への伝道に力を注いでいます。その活動を通して、任期を終える頃には、初めに期待もしていなかった程の友情と信頼が生まれ、中高年にして信仰の新しい輪が生まれ、その後も期ごとの同窓会が続いています。
しかし、「牧師夫人と呼ばれたくない」「牧師夫人として結婚したのではない」「大変な仕事は受けたくない」などの理由により、協力委員を交代する方がなく、私は今年も四期七年目を続行中です。
自分の仕事や病を持ちながらも奉仕される信徒委員の方々を尻目に、交代もないままに任期だからと言って退きがたく、苦慮しているところです。