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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

【4594・95号】人ひととき 桝田知恵さん

2006年1月28日

漁られたキリスト者として

「私は、絶対、病床洗礼」。家族が皆、会員となっている教会で、知恵さんのこの宣言は、よく知られていた。死の間際に洗礼を受ければいい。そこまで逃げてみせる。そんな気持ちが込められた宣言だった。家族で一人だけ未受洗。周りからのプレッシャーは感じてきた。特に未受洗の自分は受けることができない聖餐のある日の礼拝は休むことが多くなっていった。
教会へは母のお腹の中にいるときから。小学校四年生までは教会学校に通った。その後、続けてきた水泳の強化選手に選ばれ、日曜日は練習。もともと行くのがそんなに好きではなかった礼拝を休む都合のいい言い訳ができた。水泳にはますます力を入れ、高校はスポーツ推薦で強豪校に入学。活躍した。
しかし、この水泳も高校まで。短大は幼児教育科に進んだ。母も姉も保育者。自分も保育者になることに抵抗はなかった。しかも就職活動はキリスト教保育幼稚園だけに絞って求人票を捜した。ここが不思議なところである。キリスト教に反発を感じながら職業としては教会とのつながりを求めた。園児としてキリスト教保育幼稚園に通った楽しい思い出があった。
教会幼稚園で働き、五年目に受洗。その年、園長との面接では毎年聞かれてきた受洗の意向について尋ねられなかった。自分で考えなさいということだと理解した。出席教会では「人間をとる漁師になる」との説教を漁られる魚の気持ちで聞いた。この説教を聞いた後、牧師に洗礼希望を伝えた。ここで伝えなければ本当に病床洗礼になってしまうと思った。多くの人から受洗を勧められてきた。受験や就職を機に洗礼を勧める言葉もあった。しかし、最後はキリストの招きを自分で受け入れた。
教会員として、教会学校教師の奉仕、特技の華道を生かして礼拝堂に生花を設える奉仕をする。キリスト教保育者としても七年目。中堅である。キリストに捕えられている私がいる。

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