【4606号】牧師のパートナー

50年、共に生かされて
斎藤 潤
(水元伝道所会員)

私ども夫婦は、今年、結婚五二年になる。そのうちの四〇年は東京・葛飾の堀切教会に仕え、その後の十一年は、同じ葛飾区内でも北東端の水元の地で、自宅を開放して開拓伝道に従事。昨年、近くに小さな新会堂を与えられたばかりである。
しかし、改めて「牧師のパートナー」と言われるとちょっと考え込んでしまう。そもそも私は、結婚後の六年は学校の教師として、途中の二〇数年間は教会と同じ構内にあった社会福祉法人立の保育園の事務職員として勤務していたので、週日の教会の奉仕はほとんど出来なかった。加えてオルガンは弾けず、お花は活けたことがなく、料理は苦手で、「牧師の奥さん」に必要と昔だれかから聞いた条件(?)を今に至るまで何一つ満たしていない。ただこの五二年、牧師である夫の一番身近にいて、一緒に生きてきた、いや生かされてきたというだけである。
私どもの住む葛飾区は、東京のいわゆる下町に位置し、小零細工場(メッキ、研磨、ゴム、ガラス、玩具等々)や個人商店の多い地域である(現在は工場の移転・廃業等によりマンションも増えているが)。従って教会員も保育園児の家庭も、それぞれに厳しい生活問題を抱えており、信ずるということが生きるということと深く結びついている現実と向き合うことから、私どもの歩みは始まった。
そうした中で、一九七〇年代には、教会員が勤務する、障害者を多数雇用していた会社で、障害者三〇余名が会社側の虐待に耐えかねて寮を脱出、教会に駆け込み訴えをされ、役員会で協議の上、十日余り教会堂を宿泊場所として提供したことがある。「のために」でなく、「と共に」ということがキリスト者として問われた出来事でもあった。私は日中いろいろ手伝いながら、夜間、教会堂と牧師館との間のドアの鍵を一瞬閉め、また開けた。その間のためらいが今も痛く私の心に残っている。
また一九九〇年代初め、地域に増えた外国人労働者のうち、ナイジェリアのキリスト者が主日礼拝に出席するようになり、やがて日曜日夕方に三~四〇名もが自国語での礼拝を守るようになった。私どもは急きょ日本語教室を開いたり不当解雇・給料未払い等への交渉を行ったりしたが、外国の地で、厳しい労働条件下、礼拝を大切にし、仲間を思い合う姿に深く学ばされた。
そして水元に移ってからの十二年、全く新しい出会いがあり、支えられて、今、『教会』が新しく生まれようとしている。また、時を同じくして、全国教会婦人会連合の交わりにも加えられ、私の目は、自分の教会のみへの集中から、支区・教区・全国へと広げられてきたように思う。
私どもは、性格も趣味も全く違う。ただ、たまの車での小旅行で運転席と助手席、横に並んで二人とも前を向いてというそのシチュエーションが私は結構好きだ。人に聞かれると夫は、私どもの関係を「戦友」という。確かにそれが「牧師のパートナー」ということでもあるのかもしれない。
こんな私どもを、忍耐と愛をもって支えていてくださる教会の兄弟姉妹方、そして、すべての導き手、贖い主なる主に、心から感謝したい。

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