挫折を友として
小学生時代をアパルトヘイト真っ盛りの南アフリカで過ごした。キリスト教の授業があり、雰囲気がとても好きだった。帰国後、友人の誘いで教会に通う。洗礼を受けたいという希望も持ったが、「日本は仏教の国。結婚に差し支えるのでは」と家族に言われ、先延ばしにしていた。
婚約中だった二九歳の時、風邪を拗らせ、腎不全になった。生きるか死ぬかの状態の中で、「自分はどこに行くのか、こんな自分でも神様は召して下さるのか」との問いを持った。入院先は聖路加病院。鐘の音に支えられて、毎日礼拝に通った。病気と婚約破棄という大きな挫折の中で、「礼拝を守れてとても嬉しかった」と語る。退院後、求道生活を始め、受洗した。
「実は、まだ挫折を乗り越えてはいません」にこにこと笑いながらそう語る。けれども自分の挫折に構っていられない出来事が起きた。父が癌で余命半年と宣告される。「自分の問題も大変。でも、父とは後半年しか会えない」それからの半年は父のために過ごした。立て続く家族の病気で母も体調を崩した。「何も良いことがない」がその頃の母の口癖だったという。
「でも母も受洗後、言うことが変わって来たんですよ。『とても今は良い時ね』と言うようになった。神様はすごい、と感謝しています」父を教会墓地に分骨する事も許された。分骨できる状態で埋葬していたことに、神様の導きを感じた。
「挫折を乗り越えるのではなく、挫折を抱えて、挫折を友として生きていけるんです」現在も一日おきの透析に通っている。仕事も退職した。「透析を受けている間、イライラしたりもする。クリスチャンなのに、と、自分が嫌になる時もあります」でも、そういう自分でも、挫折の時にもすがれる所があるのが心強い。
毎週、母と二人で教会へ行く。その時が一番平安だという。挫折が影とならない朗らかさが、その信仰生活を支えている。