恵みに生かされ、こつこつ建てる
大学を卒業する3月の末、母教会の大宮教会の会堂、幼稚園舎、牧師館が不慮の火災で焼失した。園舎は突貫工事で完成。すでに建築計画が進んでいた会堂と牧師館も直ちに実施に移されるが、資金的には厳しい。牧師館の設計については大島さんに依頼することとなり、図らずも牧師館の設計が建築士としての初仕事となった。キリストの体を建てるつもりで、牧師館として使い勝手の良い配置を練りに練って設計した。献げる賜物は生かされ用いられる。以来、三三年間で三代の牧師家庭に使用され、応接室では様々な集会も行われ、時にはお見合いの場ともなり、多くの出会いがそこから生まれることとなった。
卒業後、エネルギープラント建設の会社に入社、結婚して三人の子どもにも恵まれたが、シンガポールへの滞在を皮切りに、南アフリカや中近東の国々と行き来する生活となる。入国手続きなどの際、宗教を問う欄に、たいていの日本人同僚は、nilと記したが、日本ではごく当たり前の「無宗教」の人間はなかなか信頼されない。世界を超える信仰的拠り所に立っている恵みを感じた。
南アフリカでは、アパルトヘイトの時代だった。「名誉白人」の日本人とはいえ、白人社会に喜んで迎えられていた訳ではない。冷たい視線に一人耐えることもしばしば。「差別される」とはどういうことか、身にしみた。しかし、現地での建設には白人の企業を下請けとして使っていたので、現場では白人がアジア人の監督に"Good morning, Sir."と挨拶する。これが現地のアフリカ系の労働者には驚きで、容易には理解されなかった。それでも、白人が上に立つのが当然なのではないと知ってもらえただけでも、行った甲斐があったと思っている。
二度目の母教会の建築にも携わることが許され、退社の後にも様々なものを建設した。今後もさらに深く、キリストの体を建てる働きに参画したい。