【4623号】主の召しに応えて 伝道のともしび

み言に立てられ、み言を語る

京都西田町教会伝道師 信岡 茂浩

京都西田町教会は東山の大文字麓近くに位置している。此処を初めて訪れたのは十年ほど前のこと。徒歩三五分の距離だった。遙か大韓民国からこの教会の礼拝説教が放送されていた。
私は特別養護老人ホームのパート宿直員をしていた。夜勤のケア・ワーカーとは比較にならないが、十五時間と四五分の週三回は短くはない。無事に明けた夜も五時を過ぎると朝刊を待つ人が玄関に来る。
昼間は、ぼんやり、してしまう。そんなわけで、学校のパート職がない日は隣接の日本バプテスト病院で「お昼の礼拝」に出た。或る日、FEBCの番組表を手渡して熱心に勧める人がいた。闘病生活を送るその青年は篠田清さんといった。
主日がラストスパートになる終始転倒で無休の日々を重ねてきた。平日は商品積載作業の常勤バイトに往復三五キロを自転車で通い、土曜に特養の宿直に入り、翌朝になって教会学校へ走る。目下は無給の伝道師である。担任教師として役員の皆様と共に、自宅療養中の牧師に仕えている。
以前からの担当である神学研究会は、『ハイデルベルク信仰問答』を学び始めた。また、去年のクリスマスより説教を月一度させてもらえることになった。リュックで本を担いで行き宿直中の待機時間に準備する。話も文も不評である。
今一番嬉しく思うのは研修会に参加できるようになったこと。費用も教会から援けていただいている。長いあいだ深く閉じ込められていたのが、遂に明るい広場に飛び出したような喜びである。
神学校が思いも及ばない者に応召の道はCコース以外ない。しかし具体化のめどがなかった。転会先の杉田太一牧師がCコース出身と聞き決意を新たにしたが、学校の仕事は消え、学生時代のアルバイト先に身を寄せた。「バイト」とは日雇いの「蔑称」であると思い知った。
転機は外から来た。後輩の父上である大橋弘牧師がCコース指導の達人(後日Cコースの会にて聞き及んだ)で千葉から京都に越して来られた。杉田先生の下、大橋父子の助力を得て第一年次の受験を申込んだ。大橋仁夫氏は献身的なコーチ兼トレーナーになって下さった。
教区の面接を夕刻に控えた朝、自転車通勤の路で横から跳ばされた。救急車の天蓋を睨み「また、駄目か」とうめいた。
そのときだ。病臥の後ここに到り着くまで励まし支えて下さった方々が、まばゆく脳裡を巡った。『起て!』。駆けつけた弟の送迎により面接を終えた。病院の検査と医師の記憶がない。
三月一日朝、伏見工業高校の校門に「卒業式」の看板が立っていた。その午後のこと、十トン車あおり上で作業中に落下、左かかとを粉砕した。
六日、転院した五階の病室から青空が見える。夜十時頃、もう何年も聴かなかった放送を受信した。大きな雑音の波間から「創世記1章3節」と聞こえて来る。「神は言われた。『光あれ』。」
翌朝、切り忘れた携帯が震えている。「篠田です…今から西田町教会へ行っていいですか…」。誰もいないし自分は入院して手術を待っていると告げた。「没薬と乳香が手に入ったんで…持って行きたいんですが…」。これは葬りの用意か。「是非、持ってきて下さい。で、黄金はないんですね」。
京都西田町教会は四季の彩りに恵まれ「京都で一番美しい処にある教会」(杉田牧師談)かもしれない。『草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ』。遣わされた集会に育まれつつ正教師を目指し学び続けたいと希っている。

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